蚊取線香は死の香り [20009]

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20009月のいつだったかは忘れてしまったが、その日も奥多摩の森をカメラを持ってうろうろしていた。ちょうど大学の社会人入試の合格発表が終わり、思いがけず合格通知を7月に手にした僕は、8月末日をもって会社を辞め、9月にはぷー太郎になっていた。

年明けには東京を引き払うつもりだったので、奥多摩の森をできるだけ歩いて写真に撮っておきたいということもあり、週のうちに2回ぐらいは日原に出かけていた。

その日は、早朝の森の写真を撮ろうと朝早くに家を出て、午前6時ごろには日原林道に入っていた。涼しい森の中とはいえまだ日差しは真夏であり、蚊も飛んでいるので腰にぶら下げるタイプの蚊取り線香ホルダーをつけて日原林道から野陣尾根を目指して山道を登り始めた。野陣尾根へ向かう道は大きなブナやミズナラがそびえ立ち、高いところに樹冠があるため林床はすっきりとして見通しがよく、きれいな原生林の中を通っている。僕はこの森がとても気に入っていて、もう何度もここに足を運んでいた。特に、野陣尾根方面と唐松谷方面への分岐点の少し手前にある幹周りが4mを超えているであろうと思われる大ブナは、この森で最もお気に入りの樹である。

長沢谷にかかる釣り橋のあたりから写真をとりながら徐々に登っていき、お気に入りの大ブナのあたりに来る頃には、すでに時間は午前10時になろうとしていた。再び三脚をセットして写真を撮り始めたとき、蚊取り線香を腰の後ろから前に付け替えた。このころ森の中は風がない状態で、蚊取り線香の煙はまっすぐ登ってきて顔にかかるようになっていた。多少煙いなと思いつつも、そのまま30分ほど写真を撮りつづけていただろうか。ふときがつくと、なんとなく気分がわるい。なんというか、すこしむかつくような感じだ。頭が重い感じもしていた。朝早かったし、朝食もちゃんと食べてない上に、昼食もまだだから空腹のせいだろうと思い、もうすこし登って野陣尾根の上に出てから昼食にすることにした。

頭の重さと気持ちの悪さを我慢しながら、ゆっくりと登山道をあるきはじめた。気持ちが悪いために、せっかくの森も楽しむ気にならず、早く尾根上について休憩したいという気持ちばかりが先に立っていたために、次第に歩く速度が速くなっていった。

あと少しで尾根にたどり着くというところで、突然頭痛がひどくなり、体がスーと冷えていくような感じがした。それと同時に、冷や汗がどっと噴出してきて、猛烈な吐き気とめまいに襲われた。心臓がばくばくと脈打ち、息が苦しくなった。「なんだこれ!?」と思いながら、なかばはうようにして尾根にたどり着くと同時に、そこに倒れこんだ。

「息が苦しい」「目が回る」「寒気がする」「心臓の動悸が止まらない」 いったいどうなったんだ? そんなことを思いながら身動きもできずに、倒れたまま頭上に広がる樹冠を見つめていた。

「今日は平日だから、もしかすると誰も通らないかもしれないなあ」 そんなことを思うと、このままここで死んでしまったらどうなるかなぁなどと、よからぬ思いが湧いてきた。そうすると妙に怖くなってきた。死ぬこと自体が怖かったのか、死ぬことでこの先やりたいことができなくなることが怖かったのか、それともわけもわからずに死んでしまうかもしれないことが怖かったのか、よくわからない。「こんなとこで、こんな状態で死ぬのはいやだなぁ」と思ったが、携帯電話も通じないし、誰かが通らなければ助けを呼ぶこともできないし、万事休すだ。

この数年前に、じつは心臓の不整脈で医者に通ったことがある。会社の健康診断で心電図に異常があるとかで、精密検査をするようにいわれてわかったことだが、具体的にはこれといった病名がついたわけではない。左心房なんとかブロックとかいう症状だったそうで、早い話が心臓を収縮させるための筋肉内を流れる電気パルスがうまく伝わらず、正常な心臓の動きができていないとのことだった。原因は不明。当時は、動悸がするとか、疲れやすいとか、息苦しいなどという自覚症状があった。その当時は仕事もけっこう忙しく、タバコの量が増えていたし、家でビールや酒を毎日のように飲んでいた。血液検査で血中コレステロール値が高いと出ていたし、そうとう不健康な状態だったようだ。夜寝ていると、窒息しそうになる夢をよく見て、夜中に目がさめた。おそらく夜中に不整脈が出て、かなり苦しい状態になっていたのだろう。おかげで深い眠りが得られず、いつも睡眠不足で疲れたような状態だった。それがさらに悪影響を及ぼしていたのかもしらない。

医者は、狭心症の症状にも似ていると言っていた。ただし、心臓が押しつぶされるような圧迫感を感じたことはないので、いわゆる狭心症というわけではなかったようだ。どちらにしても、死にたくなければタバコは止めなさいと厳重注意をうけ、お酒もだめ、激しい運動もだめといわれ、心臓の鼓動を記録する機械をつけて会社に通ったこともある。

医者の言葉に従ってきっぱりとタバコを止め、酒も絶ち、食事も肉類や脂肪分の多いものをできるだけ避けるようにしたところ、半年もすると息苦しさや動悸といった症状があまり出なくなり、窒息する夢もあまり見なくなった。医者に行っても問診するだけで終わりという状態が続くようになってきた。

そうなってくると、だんだん医者に行く回数が減り、そのうち行かなくなってしまった。もちろん完治したというわけではないが、たまに心電図をとっても不整脈が見られなくなったこともあって、なんとなく治ったのかなあという気になってしまった。

もちろん、万一のことを考えてタバコは完全に止めたし、酒もほとんど飲まなくなった。食事も気をつけるようにしていたので、健康状態はずいぶんよくなったようだ。しかし、完治していないこともまた事実であった。

野陣尾根で倒れたまま、「やっぱり心臓がおかしくなったのか」と考えた。治ったように見えても、時限爆弾を抱えていただけなのかもしれない。そう思うと、まあ、しょうがいないか、と妙にさばさばとした気持ちになった。誰のせいでもないし、こういう運命だったのならそれまでだ。頭上では、ブナの葉がさわさわと風にゆれ、爽やかな緑の木陰を作ってくれていた。

気がかりだったのは、自宅で僕の帰りを待っている愛猫ハナビのこと。夕方には帰るつもりだったので、それほどエサを与えずに来ていた。このままこんな山の中で死んでしまって発見が1日〜2日ぐらいかかると、その間エサはないし、ましてや身元確認やらなんやらで実家への連絡が遅れたりすれば、数日は空腹のまま過ごすことになってしまう。きれい好きのハナビのことだから、トイレも汚れてしまっていやだろうし、なんとかしてやりたいなあ、と考えていた。そんな状態で猫のトイレの心配をしている自分がなんだか滑稽だった。

そうこうしているうちに、次第に雲行きが怪しくなってきた。日差しが隠れてしまい、風も少し出てきた。冷汗は引いたが、体は冷えてしまったようで寒気がしてきた。ザックからカッパを引っ張り出して着こもうと、体を起こすと周りの景色はぐるんぐるんと回り、すこし収まっていた吐き気が一気にぶり返した。なんとかカッパを着込むと、再び仰向けに倒れこんで、ぼーっとブナの葉を見つめていた。

寒気はあるものの、妙にのどが渇いていたので、持っていた水をがぶがぶと飲んだ。500mlのペットボトルを2本持っていたが、1本は半分以上すでに飲んでいたので、結局すぐに水を飲み干してしまった。

半分うたたねをしているような状態で、3時間ほど寝転がっていた。気が付くと、ぽつぽつと雨が落ち始めていた。息苦しさはかなり少なくなり、心臓の動悸もそれほどでもなくなっていた。

すこし寝たおかげで回復したのかもしれない。このまま雨が本降りになったら、体力の消耗が激しくなるし、助かるものも助からないかもしれない。無理にでも下山すればなんとかなるかもしれないと、あきらめの気持ちからがんばろうという気持ちになっていた。やはり、休息して体力が回復すると気持ちも前向きになるものだ。

意を決して体を起こしてみたが、あいかわらずめまいと吐き気はおさまっていない。大地はゆらゆらとゆれ、吐き気は波のように襲ってくる。ゆっくりでいいから、がんばろう。カメラの三脚を杖代わりにして、腰をかがめるようにしてすり足で慎重に下り始めた。急な斜面をトラバースする道なので、めまいでふらついて滑落でもしたら、ふたたび登り返すことは無理だったろう。そのため、できるだけ頭を低くして、山側に張り付くようにして歩を進めた。

しかし、5mも進むと立っていられなくなり、その場に倒れこんだ。10分ほど休んで、再び歩き始めると、またすぐに倒れこむ。そんなことを繰り返しながら、それでもゆっくりゆっくりと下っていった。

しばらくすると、突然尿意をもよおした。誰も居ない山の中だし、状況が状況だけに道を外れて藪のかげでというわけにも行かず、登山道わきで失礼して用を足した。しかし、1時間もすると再び尿意をもよおした。そんなことが3回ほど続いて、そのうちに体調がだいぶよくなっていることに気がついた。

普通、体を動かして汗をかくような状態だとあまり小便をしたいということはないはずだが、このときは不思議なほど尿意を催した。それも毎回たっぷりと。まったくわけのわからないことが続くものだ。

あまりめまいもしなくなり、かなり普通に歩けるようになったため、下山速度は飛躍的にあがり、野陣尾根登山道と唐松谷登山道の分岐まで一気に降りてきた。無理は禁物なので、ひとまずそこで休憩することにした。すると、ほどなく上からひとりの男性が下ってきた。のどが渇いていたので、その男性に水があったら分けてほしいとお願いしてみたが、あいにくその人も水は飲み干してしまっていた。しかし、水分の補給になるだろうとこんにゃくゼリーを4つ手渡してくれた。

丁寧に御礼を言って別れた後、むさぼるようにゼリーを食べた。甘いフルーツの味とプルプルとした食感が食欲を沸き立たせ、ほんの1分ほどで4つとも食べ尽くした。しかし、このおかげで元気が戻ってきた。時計を見ると、午後5時をまわっていた。普通の状態なら、わずか30分ほどで下ってこられるところを、3時間もかけて下ってきたことになる。なんとも驚くほどの遅さだ。しかしここから先は体調も戻ってきたので、車まで30分ほどでたどり着けるだろう。

再び立ち上がったが、めまいもほとんど感じなかった。大丈夫だ。そう確信して、登山道を下り始めた。すぐにお気に入りの大ブナの下までやってきた。「死ぬかと思ったけど、なんとか復活したよ」 などと心の中でブナに一声かけて、先を急いだ。

 

結局、何が原因でどういう症状だったのかは今でもわからない。しかし、熱疲労の症状に似ていることが最近わかった。熱疲労とは、睡眠不足や食欲不振で体力が弱っている状態で激しい運動をしたときなどに起こる病気である。症状は、脈が小さく速くどきどきと脈打ち、体温はほぼ平熱だが冷や汗をかいて皮膚が冷たく湿ったような状態になり、顔面が蒼白なる。いわば脳貧血のような感じだ。熱疲労は、熱射病や日射病と同様に夏の野外で起こる病気だが、対処法はまったく逆で、体を冷やしてはいけない。熱射病や日射病と勘違いして体を冷やすと、症状は悪化して下手をすると死に至る危険性がある。

睡眠不足で早朝やってきて、きちんとした朝食も取らずに山道をカメラを担いで登ってきたために、熱疲労になったのかもしれない。そこに、蚊取り線香の煙を大量に吸い込んだものだから、さらにひどいことになった可能性がある。なんにしても軽い感じの山歩きであっても、睡眠と食事は十分にとり体調を整えておかなければ、ろくなことにならないという苦い教訓となった。

さらに、蚊取り線香の煙を長時間にわたって直接吸い続けるとどういうことになるかということを、自らの体を使って人体実験するはめになってしまった。虫を殺す成分があるぐらいだから、大量に吸い込めば人間とてなんらかの影響があるのは当然のこと。そう考えると、農薬を散布されたり、遺伝子操作で虫を殺す成分を持たせた遺伝子組み替えの穀物も、ごくわずかづつでも長年にわたって体内に蓄積されていけば、なんらかの悪影響を及ぼすことがあるかもしれない。

このことがあってから、寝不足などで体調がよくないときはめまいがしたり吐き気がしたりといったことが続いた。もちろん、歩けないほどひどい状態になることはなかったが、こうした症状がほぼあらわれなくなるようになるまで半年はかかった。いまでも、かなり体調がわるいと、かるい症状が出るときがある。蚊取り線香、なめるべからず、である。

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