2003年3月28日
TUTAYAでまたまた半額セールをやっているが、最近は2ヶ月に一度ぐらいの割合でやっている。
しかもその間に100円セールなどもやるので、毎月値下げされているようなものだ。そのおかげで、
安いときにまとめて借りて見るようになってしまった。もはや一本380円などで借りる気にはなれない。これもデフレ時代の事実上の値下げのようなものだろう。
ところで最近の傾向として、日本語吹き替え版の人気が高い。僕もここ1年ぐらいは字幕スーパー
よりも日本語吹き替え版を選んでいる。なんといっても字を目で追わなくてすむため、画面をみること
に集中することができ見ていて楽だ。音声は耳で、画面は目でみるのが当然といえば当然。テレ
ビの映画でも吹き替えはあたりまえだし、字幕スーパーだと省かれている台詞が多いが、吹き替え
だとほぼ100%言葉になっているようだ。
映画はやっぱり字幕が一番なんていう人もいるが、その理由を聞くとあまり納得できる答えが
帰ってくることはない。要はエンターテイメントなんだから、一番楽に自然なかたちで楽しめればそれ
でいいと思う。生声にこだわる必要もないんじゃないかな。日本の声優もかなりいい雰囲気だと思うし。
余り関係ないけど、最近外国車を買う人で、わざわざ左ハンドルを選ぶ人はほとんどいなく
なったようだ。左ハンドルの非実用性にやっと気が付いたのか、それとも見栄で外国車に乗る人が
減ったということか。どちらにしても、物の価値や実用性をきちんと判断できる文化が日本にも根付い
て来たという事だろう。ビデオの吹き替え版人気にしても、「洋画は字幕」というオタクカルチャー
の奇妙な不文律から脱却し、個人の価値基準で判断し始めた人が増えていると見て差し支えないのだ
ろう。
2003年3月22日
19日の「ひとりごと」で、APS-Cサイズの撮像素子をもった一眼レフデジカメはファインダーが
見にくいと書いたが、ペンタックスがこのほど発表した*ist-Dはどうやら期待できそうだ。カメラ雑誌
のインプレッションに"ファインダーを覗いたら、(35mm)フルサイズかと思ったほど"というコメント
が書かれていた。ファインダーの倍率が0.95倍だから、EOS-10Dの0.88倍と比べてもかなり大きい。
現状のAPS-Cサイズの一眼レフデジカメは、本来35mmサイズのファインダーのまん中あたり
だけ見えているような状態で、そのうえファインダー倍率が1より小さいのだから、見える画像の
大きさは、実際のサイズよりさらに小さい。APS-Cサイズは、35mmフルサイズに比べれば大きさは
およそ半分。これのさらに80%程度なら、四角形の筒で覗いているような感じに見えてもしょうが
ない。それならば、せめて倍率を大きくする努力をしてもいいはず。その意味で、ペンタックスの
製品作りに対する姿勢は評価できると思う。もっとも実際に見てみないとなんともいえないのは
確かだが・・・ とはいえ、価格も20万円程度と安くなりそうだし、居眠り運転しながら迷走して
いたようなペンタックスがようやく目を覚ましたようで、なんともうれしい年になりそう。できる
ことなら、開発途中で中止された35mmフルサイズデジカメも復活してくれることを願う。
2003年3月19日
今日は所用で東京へ行ってきた。といっても日帰りなので、都内にいたのはわずか6時間ほど。
新幹線に乗っていた時間は、往復で8時間。かんべんしてくれ〜、という感じ。それはさておき、
用事そのものは2時ごろには終わってしまったので、これ幸いに新宿のヨドバシカメラで岡山では
買えないようなものを物色し、豊富なデモ機を散々触りまくって帰ってきた。
いままでほとんどペンタックス以外の一眼レフカメラをちゃんと触ったことがなかったので、
キャノン、ニコン、ミノルタの中級機以上のモデルを試してきたわけだが、やはりお高いカメラは
いいものだ。触った感じも高級感があるし、ひとつひとつの操作感がかっちりしている。最新の
高級カメラと比べると、今使っているペンタのZ-1もやはり時代を感じさせるし、安物くさい。
ところで、どこのメーカーのカメラが良かったかというと、意外にもミノルタ。α-9の
コンパクトさ、手になじむホールド部分、質感がなかなか秀逸だったこともあるが、なにより
気に入ったのがファインダーの見易さ。ピントの山がわかりやすく、明るく、色味もクリアーで
すばらしいの一語につきる。ニコンもなかなかよかったが、ファインダーに関して言えばミノルタ
の圧勝。風景を撮っているとマニュアルでピントあわせをすることが多いが、これほど見やすい
ファインダーならピンぼけも減ることだろう。これに比べると、キャノンのファインダーはもう
ひとつピントの山がわかりづらかった。でも、カメラのコンセプトとしては、キャノンはAF優先
っぽいので、そのあたりはAF機能の優秀さでカバーできるともいえる。ニコンはどっちもOKで、
さすがによく考えられているという感じ。
銀円一眼レフをひととおり試した後にデジカメ一眼レフを試してみたが、いわゆるAPS-Cサイズ
の撮像素子を使っている普及タイプは、ファインダーがまるで望遠鏡を覗いているようで、ちょっと
つらいなあという感じが強かった。AF中心でポートレートやスナップを撮るにはそれほどでもない
のだろうが、細かい風景描写にはあまり適していないのではないかと思える。ただし、EOS-1Dsはさす
がに銀塩カメラとなんらかわらないファインダーで、35mmフルサイズの撮像素子の違いを実感。
やはり、買うなら35mmフルサイズの一眼レフデジカメだなと思った次第。ということは、当分は銀塩
カメラとお付き合いが続くことになるということ。デジカメよりは、高性能フィルムスキャナでも
買おうかなと思わないでもない。3000dpiレベルのスキャナなら、1000万画素のデジカメと同等だしね。
久しぶりの東京で人と車の多さを改めて実感したが、買い物に関してはさすがに東京。なんでも あって便利だった。ヨドバシカメラも、ネット上ですべての商品を扱ってくれれば助かるんだけどなあ。
2003年3月6日
試験も終わり、最後に残っていた論文をなんとか2月下旬に書き上げてから、すっかり虚脱状態に
陥っていた。最後の更新が2月20日だから、ちょっとサボりすぎ。どうもすいません。
季節はかなり春めいてきたと思っていたら、昨日からはまた真冬の天気が続いている。雨も降ったり
している関係で、今ひとつ出歩く気にもなれない。こんなことではいかんと、先日カメラを持って近所
をぶらぶらしながら、スナップ撮影をしてきた。
といっても、期限が切れてしまったフィルムが3本あったので、とりあえず使うだけ使おうという
消極的理由がきっかけ。しかし、たまに近所のスナップも気分転換にいいかも。いつもは車や自転車で
足早に通り過ぎるだけだが、足元をゆっくり見ながら歩くと、ときどき面白いものを見つけることがで
きる。ちなみにこのとき見つけた一番面白いものは、ブラジャーのなる木。誰かがいたずらで投げ
上げたのだろうが、枯れ木にブラジャーが3枚ぶら下がっていた。ブラジャーだけにぶら下げたという
わけでもないのだろうが、どこから持ってきたのだろう。もしかしたら下着泥棒の仕業か。
どちらにしても、なぜに枯れ木に投げ上げたのか、その意図はまったく不明である。ちなみに色は、
白、グリーン、水色と白のチェックというものだった。どことなく芸術っぽくもあったが、3枚だけだと
表現としては弱い。せめて10枚ぐらいあればアートといえるかもしれない。ただし、盗品はいけません。
2003年2月19日
「影ながら応援してください。」 こんなことを言っている人がいた。スポーツニュースで
プロ野球のルーキー選手のインタビューを流していたときの話だが、そのインタビューの最後に、本人が
両親にむけて言った言葉がこれ。聞いた瞬間に、なんだかおかしな言い方だなぁと思った。
”影ながら”という言葉を使うときは、応援する側がへりくだった立場で使うのがふつう
なのではないか。表立って大々的に応援することは立場上、もしくは時間的・金銭的問題でできない
ので、控えめに、遠慮がちに、応援させていただきますという感じでつかう言葉のなのではないのか。
それを、自分の親に向かって「影ながら応援してください」というなんて、よくよく考えれば
ずいぶん失礼な言い方だ。堂々と自分の息子を応援するのではなく、隠れてこそこそ応援してくれ
といっているようなものではないか。
本人はそんなことを意識してしゃべっていないだろうし、悪気はまったくないということはよく
わかる。高卒のルーキーだそうなので、言い慣れない敬語に失敗してしまったのだろう。
僕は決して国語学者というわけではないので、実は僕が知らないだけでもしかするとそういう
言い方もありなのかもしれない。しかし、過去「影ながら応援してください」という表現を聞いた
ことはない。ないということは、やはり間違った使い方である可能性が高いように思うのだが、
はたして真実やいかに。誰か知っている人、いないかな。
2003年2月13日
今日はハナビの命日。あれからもう1年も経ってしまった。時間の流れは人の気持ちを
すこしづつ風化させていくが、つらい思い出や悲しい記憶は早く風化したほうがいい。楽しかった
ことやうれしかったことだけ残ったほうが、気持ちとしては楽だし、前に向いて行ける。
それにしても、ハナビの写真は以外に多くはないということが悔やまれる。いろいろと
探してみたが、全部あわせても60枚程度。5年間で60枚だから年間12枚しか撮っていないことになる。
写真の中のハナビの屈託のないかわいい顔をみると、もっとたくさん撮っておけばよかったと思う。
ペットですらそうなのだから、ましてや家族や好きな人の写真はたくさんたくさん撮っておくに
こしたことはない。ポートレートやスナップ写真が好まれる理由のひとつはここにあるのだろうか。
ただし、人の場合はきれい、もしくはかわいく撮るという技術的な問題が残される。その点、動物は
どう撮ってもかわいいものはかわいい。なぜ、人間だけだめな写真といい写真とできてしまうのだろう
か。もっとも、だからこそカメラマンという職業が成立するのだけれど・・・
2003年2月11日
岡山県 西粟倉村( にしあわくらそん )で行方不明になっていた幼い姉妹が遺体で発見された。
発見場所は、消息不明になった母親の実家から直線距離で1.5kmの山中だというが、実際には
曲がりくねった林道を数km、しかも標高500mの峠を越えなければたどり着けない場所で、大人の
足でも1時間以上はかかるという。細く整備も不十分な林道を、8歳と5歳の姉妹が
ミゾレが降りそうな天候のなかを、標高500mの峠を越えて隣の東粟倉村まで歩いて行き、しかも
林道から急斜面を100mも登っていった理由はなんだったのか。常識ではとても考えられない。
警察発表では、これといった外傷がないことから道に迷って凍死した可能性が高いとの
ことだが、本当にそうなのだろうか。直接の死因はそうかもしれないが、道に迷ったとするのは
どうにも納得できない。なんの証拠もないのにうかつなことはいえないが、彼女
たちが自らの意志でそこまで行ったと考えるのは、あまりにも無理があるような気がする。
ましてや、もともと地元の子供ではない。もしも、彼女たちを悪意を持って山中に置き去りにした
人間がいるとするならば、決して許すことはできない。しかし、仮にそうだとしても、目撃者も
ないし何の証拠もないのであれば、犯人を特定することは容易なことではない。これからの警察の
捜査に期待したい。
それにしても、最悪の結果になってしまったのは、非常に残念なことだ。同時に二人の子供
を亡くされた両親の心中を察すると、心が押しつぶされそうな気持ちになる。今は、二人の冥福を
ただ祈るばかりだ。
2003年2月10日
スペシャルギャラリーを新規に開設した。これは、他のテーマのどれにも属さない、もしくは
複合的な構成になっているものを集めたギャラリーで、自然の造形物にとらわれない自分なりの
テーマという意味で、アイコンに「題」という字を入れてみた。
このギャラリーを作っていて、ようやく自分の撮りたいテーマを具体的に理解することができた
と思う。自然の美しさ、特に色彩的な美しさであることに変わりはないのだが、さらにそこに人間の
存在を入れたかったんだということに気が付いた。今までは、人間の存在を排除して撮ってきたが、
どこかに物足りなさ、寂しさをずっと感じていた。やはり、自然は人間に対峙するものではなくて、
共生するものだということを表現したい。人間の側と自然の側を隔絶したものとして描くのではなく、
自然の恵みを受けながら、自然に感謝し、自然とともに生きる姿を撮りたかったんだと、やっと具来的
にわかった気がする。
いままで人間の存在を排除した形で撮ってきたのは、やはり東京という場所に住んでいたことの
反動だったんだろう。コンクリートとアスファルトで自然を拒絶した街。そこにひしめく人と車。
こんなものはほしくないという気持ちがずっとあった。岡山では、本当に身近なところに野生の動物
がいる。特にシラサギとアオサギは、人間の存在など気にもしていないかのように道端の用水路脇に
突っ立っているところを良く見かける。そのたびにいつも驚いているのだが、驚いていることがまだ
自然と人間の共生が可能であると理解していない証拠かもしれない。でも、それがあたりまえの感覚
になると、いつか自然を破壊することにも鈍感になってしまいそうで怖い気もする。そうならないために
も、「共生」をテーマにした作品作りを続けていきたい。
2003年2月8日
ようやく試験が終わった。おそらくすべて単位の取得はできたと思う。ひとつだけ、レポートをひとつ
出していない科目があるが、試験のできはそれほど悪いという感じはないし、出席も8割は確保しているし、
まさか不可ということはだろう。べつに優でなくても、可で十分。取れればOKだから、なんとかなるだろう。
好きではじめた大学生だけど、興味のない分野の授業と試験にはもううんざり。あとは、卒論だけという
ことで、終わりにしたい。
とにかく、試験は終わったので、今日はTUTAYAが半額セールだったのをいいことに、ビデオを4本借りて
きて、昼からカウチポテト三昧の1日。ゼミのレポートがひとつ締め切りを延ばしてもらっているので、
1日で全部見るつもりはなかったが、結局、試験のストレス解消に全部見てしまった。
土日は、バイトとレポートで明け暮れそうだ。いつになったら楽になるのか・・・
2003年1月30日
不思議な感覚。ときどきあれっと思うことがある。
お昼時、ご飯を食べながら「ごきげんよう」をなんとなく見ていた。梅沢富美雄
(こんな字だっけ?)が出ていた。小堺一機が「家ではどんなことをしているんですか」と聞く。
彼は答える。「よく音楽を聴いたりしてます。」 小堺、再び質問。「どんな音楽を聞かれるんですか?」
梅沢、再び答える。「クラッシックなんです。」 この答えを聞いた瞬間、"ドビュッシー"という言葉がふと
思い浮かんだ。"クラッシックか。ドビュッシーだったりして"と思った。その瞬間、テレビの中から
「ドビュッシーが好きなんです。」 へっ? マジ?
子供の頃は、意外と勘がいいんだと思っていた。ソフトボールなどやっていると、今度はこっちに
打たれるな。このあたりまで飛んでくるだろう、なんてことが不思議とあたった。そのまま野球をやって
いれば、今ごろプロ選手だったかもしれない。でも、中学校になると野球は嫌いになった。プロ野球
中継を見るために兄貴がチャンネルを独占するので、見たい番組が見られなかったから。
昔に比べると、そういう不思議な感覚を味わうことは少なくなったが、たまに思い出したように
体験する。そういうときには心のそこから思うのだが、競馬の勝ち馬とか、ロト6の当選番号とかなぜ
わかるようにならないのかと。そういう、欲望に心が支配されていると、やはり気持ちが曇ってしまう
のか。あーあ、世の中うまくいかないものだ。地道に働くしかないというわけか。
2003年1月27日
「千と千尋の神隠し」が先日テレビ放映されたが、視聴率はなんと46.8%もあったそうだ。
ほとんど紅白と同じ。映画のテレビ上映においては、堂々のトップとのこと。まあ、当然の
数字だろう。日本人口のほぼ半数近い人が見たことになる。
そういう僕も試験期間中にもかかわらずテレビでみたひとり。話題作だけあって、十分楽しめた。
しかし、1つ不思議に思ったことがある。それはタイトル。なんで"千と千尋の・・・"
という別人格扱いの言い方なのか。こちらの世界の千尋があちらの世界では千になったというだけ
で、こんな言い方をするだろうか。どうも、タイトルの意図がよくわからない。
ということで、見終わってから妙に気になって、けっきょく自分なりに納得したい答え
がほしくていろいろと考えてみた。
タイトルは映画のテーマと密接な関係がありそうなので、この映画のテーマを考えてみた。
釜じいがやたらと「愛」という言葉を口にしていたところを見ても、エンディングのハクと千との
シーンを見ても、どうやら「愛」がキーワードのように思われる。しかし、ナウシカとかラピュタ
と比べると、ちょっと普通過ぎないか? 単純に男女間の愛がテーマとはとても思えない。それならば、
ここでいう愛とは何と何を結ぶ愛なのか。
単純に考えれば、もともと千尋が油屋で働こうとしたのは、豚にされてしまった両親を
助けたいがためであるので、その意味では家族愛である。しかし、ハクとの間にはそこはかとない
男女の愛の匂いもある。ただし、ハクの正体は結局のところ川の神様であるので、男女の愛と言って
しまうとちょっと矛盾が生じる。ハクが油屋に来た理由は、確か川が埋め立てられて居場所がなく
なったからではなかっただろうか。そして、その目的は魔法を教えてもらうことだった。つまり、
人間によって汚され、埋め立てられ、跡形もなくなくなってしまった川をもう一度よみがえらせよう
という意図があったとも考えられる。
千尋は、かつてハクの川で遊んでいて溺れたことがあるが、そのとき千尋を助けたのがハク
だった。しかし、千尋はその記憶を忘れてしまっている。この、"忘れる"ということが、この映画の
中では比較的重要なキーワードになっている。千尋やハクのように、名前を奪われると、次第に自分が
何者なのか、なぜここにいるのかを忘れてしまう。
人間は、かつて美しい川が流れる、自然の豊かな場所で生きてきた。
しかし、文明の発達とともに川を汚し、自然を破壊し、やがて川や山を埋め立てたり削り取ったり
して、そこに美しい自然があったことすら忘れてしまっている。
埋め立てによってハクの川はなくなってしまった。川の名前も地図から消え、やがて人間の
記憶からも消えてゆく。自然に対する人間の意識は、時代とともに低下してきた。しかし、そんなこと
でいいのだろうか。大切なものを忘れて、アスファルトとコンクリートで囲まれ、汚水が流れて生物が
すむことのできないような川が、ただの排水溝としてのみ存在することを、当然のこととしてしまう
ような生き方が、はたして人間にとって幸せなことなのか。自然の汚染や破壊に対する警鐘をこの映画は
訴えているといえるのではないか。物語の中で、腐れ神の体の中から自転車等のゴミを引っ張り
出したら、じつはその正体は有名な川の神だったというシーンが、これを象徴している。
で、自然破壊への警鐘とタイトルの疑問および愛というキーワードがどうつながるかというと、 つまり人間の記憶の中には忘れ去られた美しい自然とともに生きた時代の記憶がある。しかし、現実 に生きている人間は、そのことを忘れてしまっているので、別人格のようなものだといえる。自然を 愛し、周りにあるすべてのものを愛することができる人間の本質部分と、現実的に経済や便利さを 優先させて生きる現代の人間の本質部分、それを"千"と"千尋"という別の人格として扱うことで、 自然とその中で生きるすべての生命を愛することの大切さ、そして人間にはそれができるということを もう一度思い出してほしいということを言いたかったのではないか。その意味では、「風の谷のナウ シカ」や「天空の城ラピュタ」と同じ系統の映画だったように思う。
2003年1月25日
ついに来週から試験期間に突入です。レポートもあるしバイトもあるし、さりとて
勉強もしなければならないし、なんだかもうげんなりです。でも、あと1週間がんばれば
それでおわり。無事単位を取れば、来年度は卒論だけだから、そうとう楽になる。とりたい
資格の勉強もできるし、いっちょう死ぬ気でがんばるか。
社会人の頃は変化のない日々が退屈でしょうがなかったけど、学生よりは社会人の
ほうが絶対楽しいとわかりました。なんでかというと、学生は言われたことをやるだけで、
しかもいくら時間をかけようが、どんなにいいものを作ろうが、まったくお金にならない。
つまり、生産性という点ではまったく存在価値がない。
そういうわけで、はやく卒業して働きたい今日この頃です。でも、長期休みの間だけは、
学生でよかったとしみじみ思うわけで、結局ないものねだりのわがままなんだよね。
2003年1月20日
あなたはアレルギーになったことはありますか? 幸いなことに僕はアレルギーといえるような
症状がでたことはありません。今日、大学の講義の中でアレルギーの話に少し触れていた。
たとえば20年前と比べて、現代はさまざまなアレルギーが多い。花粉症、シックハウス、
アトピーなどは昔は聞かれなかったアレルギー。それがなぜ最近になって問題になるように
なったのか。もちろん、原因物質が昔に比べれば多くなったということもある。しかし、人によって
出たり出なかったりするのはなぜなのか。ひとつの仮説が、最近の過剰な衛生指向。潔癖症と
いってもいいぐらい。トイレの便座を消毒するのはわからないでもないが、ハンドソープから
台所洗剤まで殺菌がうたい文句。抗菌、滅菌という言葉を見聞しない日がない。人間はかくもきれいで
なければならないのか。
本来、手のひらはもとより体中の皮膚には無数の細菌がいる。もちろん、体内にもこれまた
無数の細菌が住んでいる。そのうえ、寄生虫までいることがある。人間に限らず、生物はこうした
細菌に犯されないように、常に抵抗力でもって健康を維持している。ところが、食べ物から皮膚に
至るまで、なんでも殺菌し滅菌し、抗菌処理のものを使っていると、こうした抵抗力が必要なくなる
わけだ。やっつけなければいけない細菌がいなくなると、抵抗力をもてあましてしまい、ちょっと
したことにも過剰に反応してしまう。悪者が来なくてひまを持て余していたウルトラマンが、
久しぶりに来た悪玉を、持てる力のすべてを使ってやっつけてしまうような
ものだろうか。ま、普段手を抜いているわけではないと思うが・・・ で、ハッスルしすぎて町を
壊してしまうというわけだ。
アレルギー症状の増加も、そういう側面があるといえるらしい。人間、衛生的過ぎるのも
考えもの。これから温暖化が進んで、南方系の新しいウィルスなどが増えてくると、衛生過剰で
抵抗力のなくなった人は、つらい思いをするかもしれない。何事もほどほどが一番。特に子供の
うちは、外で泥遊びをするぐらいのほうが抵抗力がついていいのでは? 僕がアレルギーに
ならないのも、子供の頃に泥遊び、川遊びをして育ったおかげなんだろうな。
2003年1月19日
デジタルカメラの進化はとどまるところを知らない。ニコンD100セミナーで最新の一眼レフ
タイプデジカメラを試してみた正直な感想だが、だからといって即買いだとも思わない。
約30名が集まったセミナーだったが、そのほとんどは頭の白くなったもしくは薄くなった
年配者。30万円もするD100を買う前に話を聞いてちょっと試してみたいという人ばかりかと思っていたら、
なんと自前のD100を持参している人が数人いた。30万円もするカメラを買っていること自体にも驚くが、
それほどの大金を使っているにもかかわらず、要するに使い方が良くわからないから聞きに
来たというわけだ。彼らは取扱説明書を読めばすぐわかるようなことに、なるほどとうなずき、時には
「ほぉ」と感心しながら熱心に説明を聞いていた。
"なんだかなぁ"と思いつつ、D100をいろいろと触っていくうちに、確かにこれは楽だし簡単だと思った。
というのも、今、フィルムスキャナーから取り込んだ画像をフォトショップを使って修正しているが、
その作業のいくつかはカメラ側でできてしまう。しかも、撮ったその場で写真の確認ができるのだから、
これほど便利なものはない。露出の適正値がその場で画像を見て確認できるのだから、後日失敗写真
にがっかりするということはなくなるわけだ。撮った画像のヒストグラムもその場で確認できるうえに、
なんと白飛びしているところまで画像の上で表示してくれるのだから、いたれりつくせり。ウェブに写真を
掲載したり、デジタルプリントするのなら、フィルムカメラでなければならないという理由はもはやない。
というよりも、デジタルカメラでなければならないと言ってもいいのではないかと思える。
それに撮影の途中で自由にISOが変えられるというのもいい。しかもISO200からなんと6400まで設定
できるのだから、時間と場所を選ばずに撮りたいものが撮れる。
画質については、若干気になる点もあった。A3サイズのサンプルをみると、色やディテールの質感などは
フィルムとなんら変わらないレベルだが、細かい編目の見えるセーターや窓の格子などに偽色とよばれる赤や青の
縞が所々に見うけられた。また、渓谷の木を写したものは、一枚一枚の葉のディテールはかなりラフな感じで、
風景に使うにはまだフィルムに及ばないという気がした。もっとも、カメラの性能なのか、データ処理が
うまくないためなのかは、元データを見ていないのでなんとも判別がつかない。隣に置いてあった、後楽園の中
から撮った岡山城の写真ではそれほど悪くなかったので、データ処理が不十分だったのかもしれない。ポート
レートや静物などは、フィルムよりもシャープかもしれないというぐらいきりっとした画像が印象的だった。
今回のセミナーは無料ではない。会費2000円なり。受付でもらった封筒の中身は、D100とニッコールレンズ、
アクセサリーのカタログの他に、日本カメラのムック本「Nikon D100 World」という本が一冊。価格は1900円なり。
そして、シャープペンシルが1本。たぶん、100円だろう。つまり、本とシャープペンシルを定価で買ったということ。
参加者特典というのがあったが、ニッコールレンズ購入者に対する5%の割引なので、特にメリットなし。
まあ、ヒストグラムの読み方やRAWデータがどういうもので、どのように加工できるのかを教えてもらったので、
これだけでもずいぶん得をした気もする。実際に屋外に持ち出して試写させてくれればもっとよかったのだが。
セミナーを受けた感想は、カメラの完成度、画像の美しさなど、今の時点でも十分実用に耐えうるもので、
買っても不満はほとんどないだろうというところ。しかし、30万円はまだまだ高すぎる。フィルムカメラの最高級
機種が買えてなおかつおつりが来るお値段だ。それほど急がなくても、もっと安くて高性能の機種は1年もしない
うちに多分出てくる。35mmフィルムサイズの画像素子を搭載したものが20万円を切ったら検討してもいいかな。
でも、そのときにはまだ高いなんて思うんだろうな、きっと。
2003年1月16日
再び寒波襲来で、今日は凍えそうな1日だった。東京に居た頃はマンションに住んでいたので
、冬でも家の中は比較的暖かく、あまり寒さを感じなかった。スキーに燃えていたことも
あって、毎週末長野や群馬まで出かけたもんだが、岡山に帰ってきてからどうも寒さに
弱くなったような気がする。気分的なこともあるのだろうが、一戸建ての住宅は基本的に熱が
逃げやすいので、室内に居ても寒い。窓が多いから熱は逃げるし冷気は入ってくるし、寒いのは
当然ではあるが、もう少し何とかならないの? それほど古い家でもないのに、なんでこんなに
寒いわけ? 手抜き住宅で断熱材が十分入っていないんじゃないかなどと勘ぐりたくなる。
そもそも玄関にガラスの壁とガラスのドアなんて入れるもんじゃない。設計者は一戸建てに住んだ
ことがないのか、それともコストとデザインのことしか考えていないのか、どちらにしてもこの
住宅会社、あまりユーザのことを考えていないと思われる。地盤沈下もしてるしなあ。
大手自動車会社の系列会社であるTホームの家を検討している方がいたら、よーく細かいところまで
検討してください。冬の寒さはこたえますよ。
そういうわけで、あまりの寒さに今できる対策を考えた結果、引越しのときの荷造りに使った
梱包材、正式名称は知らないが、いわゆるエアキャップ(プチプチと言う奴もいるが・・・)を
カーテンの内側にぶら下げて、安全ピンで壁に留めてみた。ちょうど窓をエアーキャップでふさいだ
ような状態。これがけっこう効果絶大で、いままで寝ている間に頭のところにある窓からまるで冷風
を浴びせ掛けられるような寒さを感じていたのが、ほとんど感じられなくなった。さらに、DIYの店で
見つけた窓ガラスに貼り付けるタイプの断熱材(エアキャップのバージョン違いみたいなやつ)を
大きな引き戸のガラス部分に貼り付けたら、これまた冷気の進入がなくなった。それでも、
フローリングの床が冷えるのはどうにもならない。2階の床の内部にはもしかしたら断熱材が入って
いないのかもしれない。これはさすがにカーペットを引くしかないのだろう。
寒さ対策も身近な素材を使えば意外と効果的。これで光熱費も少しは浮くかな。しかし、
久しぶりに雪が豊富でスキーにはもってこいの年だというのに、さっっぱりその気にならない。
春休みになったら大山にでも滑りにいってみるかなぁ。このままだとせっかくとったスキー検定
がうそだと思われてしまいかねない・・・
2003年1月13日
2003年になってすでに半月が過ぎてしまった。今年の目標などという大それたものではないが、 日ごろいろいろと感じていることを、今年から書き留めておくことにした。毎日、日記形式で 書くというのは確実に不可能なので、書けるときだけというか書きたいときだけということにして おこう。あまり、自分に縛りをかけるようなことしても嫌になるだけだし・・・
12日に総社市文化協会が主催だった吉備フォトコンテストの表彰式が、総社市立図書館で行われた。
朝10時からということだったが、日曜日は仕事があるので母親に代理で出席してもらった。
夜、実家によってみると、金の縁取りの表彰状に、景品が二つ。もらった賞はメーカー賞という
ものだが、全部で35点あるというので、普通のコンテストで言えば佳作とか入選といったところ。
賞品の内容も押して知るべしだ。別に金品目当てで応募したわけではないのだが、くれるという
ものはありがたく頂戴いたします。
コンテストの作品は、総社市、真備町、山手村、清音村の各会場で巡回展示するらしいが、日時
や場所はどうなっているのかよくわからない。
包みを開けてみると、富士フィルムの名前がついたのし紙が貼られていたので、協賛メーカーの
なかの富士フィルム賞になったらしい。中身は、なぜかペットボトルクーラー。これって富士フィルム
の製品なのか? もうひとつの包みは、折りたたみタイプのブック型フォトスタンドだった。フィルム
だったらラッキーだったんだけどなぁ。富士フィルムさん、次回からは賞品はフィルム5本セットとか
にしてください。
それにしても、金縁の賞状なんて小学校の時にもらって以来だ。まだ、こんなものが渡されている
なんて、こちらのほうがどちらかというと感激(なつかしいという意味で)。母親も感激したのか、しまいこんでいたこれまたきら
きらの額縁にご丁寧に入れてくれていた。これを自分の部屋に飾って、見ながらご満悦状態になれと
でもいうことなのか? さすがに、それは勘弁してくれ。
昨年までは、自己満足写真で、ほとんどコンテストの類には応募していなかったが、今年は少し
がんばって出してみよう。賞金でももらえればラッキーだが、それよりも自分の作品がはたして
人をどれぐらい感動させられるのかというのが、気になるようになってきた。
というのも、本日見に行った「3lens」という写真展が思いのほかよくて、やはり自己満足で
終わっていてはいかんなあと思ったのだった。人を感動させるということだけでなく、写真を通して
環境問題とかいろんなことを考えるきっかけになるようになればとも思う。
写真展もやってみたいものだ。今日見てきた写真展は、都心部の廃校になった小学校を利用した
もので、会場費などはかなり安くできたみたい。お金をかけずに、こうしてこじんまりとした感じ
でもできればいいなと思った。