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2003年12月31日 1年の終わりに

 大晦日。1年の終わり。この「ひとりごと」を書き始めた のがちょうど今年のお正月からだから、まさに丸1年が経ったわけで、その間に いったい自分は何をしたのだろうかと考えると、いろんなことをしたようにも思え るけれど、何もしていないようにも思えるわけで・・・
 紅白歌合戦が終わろうとしている。とりはSMAPだそうだ。世界に一つだけの花 という歌は今年よく聞いた。歌の内容はあたりまえといえばあたりまえの内容だけど、 あらためてこうして歌われると、わかっていても忘れていることってあるなあと思い 起こさせてくれる。他人の評価や世間体、つまらない優越感、地位や名誉などに対する 欲望、収入の多少など、僕らはそんなことを気にしながら生きている。心のどこかで そんなことは自分の人生とは直接関係ないはずとわかっていながら、やはりそれらに 振り回される。そこから決別するために岡山にもどってきて、大学への編入をしたの だけれど、いよいよその学生生活もあと数ヶ月でおわりとなる。本番はこれから。 来年は、いったいどんな年になることやら。人生の結果は、努力の結果。誰かが テレビでいっていた。そうだと思う。無理をする必要はないけれど、自分にできること、 実現したいことのためには、やはり努力が必要だ。どんな結果になるにせよ、後悔の ない年にしたいものだ。
 来年が、すべての人にとってすばらしい年になりますように!


2003年12月23日 ラーメン定食

 関西人はご飯のおかずにうどんという組み合わせ には特に違和感を感じないと思うが、関東の人に言わせると、炭水化物であるご飯のおかずに 炭水化物のうどんを持ってくるなんて理解できないらしい。たしかに、そうなんだけど、それ ならラーメンライスだって同じではないか、といいたくなる。しかし、そういえば東京の ラーメン屋でご飯をいっしょに頼んで食べている人をあまり見たことがない。ラーメンライス ももしかして関西文化なのかもしれない。
 しかし、ウチの母親はさらにこの上を行く。この前実家によって夕食を食べたのだが、 このときはたまたまラーメンだった。で、先にラーメンができたのでちょっとしたおかず と一緒に食べていると、なんと2品目のおかずとして炒めたスパゲッティが出てきたのだ。 一瞬、箸が止まってしまったが、せっかく出してくれたのだから食べないのも失礼だし、 どちらかというと食べられればなんでもいいというほうなので、そのまま黙って食べた。 ただし、冷静に考えるとこれはあまりにも奇妙な組み合わせだ。麺のおかずに麺だなんて、 さすがの関西人もこれは許せないかもしれない。それでも、このときの組み合わせは意外と 抵抗が少なかった。というのも、ゆで麺のラーメンに対して、油で炒めて味付けをしたスパ ゲッティだったため、口当たりや味付けが違っていたからだろう。そこまで計算して出した のだとしたら、ウチの母親もなかなか芸が細かい。むしろ、同じ麺類を抵抗なく食べさせる という高等技を持っていると考えるべきかもしれない。意外と、料理名人かも。


2003年12月15日 BE-PALからのアンケート

 先日、小学館のアウトドア雑誌BE-PAL編集部から突然メールが届いた。 内容はアンケート協力のお願いだったのだが、なぜに小学館から?とやや怪訝な気持ちになった。 小学館には大学の同級生が勤めており、漫画の探偵コナンの編集担当なのでそのつながりか と思ったら、巨樹写真ギャラリー「森の神」を見てのことだった。もう数ヶ月も更新しないで ほったらかしにしていたので、"楽しいネットコンテンツを運営されている皆さまにアンケートをお願いし" などといわれるとこっぱずかしいのだが、なんでもBE-PAL3月号で本当に使える図鑑という特集を するらしい。それで、自分でつかっている樹木関係の図鑑を教えてほしいとのことだった。 アンケートに答えれば、サイトのタイトルを紙上で紹介し、しかもBE-PALのHPからサイトへの リンクをはってくれるとのことなので、早速返事を書いて送った。更新をなまけている サイトでも、見てくれる人がいるんだなあとちょっと反省。年内にはきちんと更新しておかないと いかんなあと思いつつ、さりとて師走の忙しさではたしてできるかどうか・・・
 本当は、巨樹ギャラリーも鳥取、広島、島根とまわって、中国地方を網羅したいという のがあるのだけれど、どうも計画だおれになりつつある。最近、計画だおれが増えつつあるので、 来年は有言実行の年にしたいものだ、いやしなければ!


2003年12月8日 武蔵

 今年の大河ドラマ「武蔵」が最終回を迎えた。そういえば、そんな季節 になったんだなあと、温暖化によって麻痺してしまった季節感をテレビドラマで思い出す。 しかし、武蔵の最終回は正直がっかりの内容だった。いつもより15分長い放映時間なので、 それなりのエンディングというものがあるのかと期待していたら、なんのことはない。ただの 総集編ではないか。いろんなシーンをつなぎ合わせて回想シーンとして流しているだけ。こんな 最終回は納得いかない。そもそも、おのれ一人の力で生き抜いていくと常々口にしていた武蔵が、 大阪夏の陣のあとなぜ九州に下って大名の家臣になったのか、しかも島原の乱のときには鎮圧する 側として戦に参加しているという史実を描いてほしかったのに、これでは尻切れトンボもいいところ。 小学生の頃見た「国取り物語」のような、最後まで見ごたえのある大河ドラマが最近なくなっている ような気がする。いい脚本や原作がないのか、はたまた予算がないのか、どちらにしてもこれでは 次回作もあまり期待できないような気がする。デジタル地上波とか衛星放送とか、はたまたハイビジョン だなどと、NHKは手を広げすぎだ。南極に衛星放送基地を作ったことも首をかしげる。だれがそんなに 南極の雪と氷の世界をみたがっているのだろうか。国民から視聴料を取って運営しているのだから、 もうすこし考えて使ってもらいたい。なんでもかんでも一社でやる必要はない。そのうち、NHKも大赤字 を出して、税金で補填なんてことにならなければいいけれど・・・


2003年12月3日 気になるCM 〜 MAZDA MPV

 以前、メーカーの宣伝広告の仕事をしていた関係で、いまでも様々なメディアの広告 はそれなりに興味を持ってみている。たくさんの広告が目にとまる中、最近マツダの新型 MPVのCMが気になっている。
 マツダの唯一のミニバンが、先月あたりにマイナーチェンジを行って、その販促の ために最近CMを流しているようなのだが、このCMに登場するマトリックスばりの黒い衣装に 身を包んだ男性達が哀れなのだ。
 高速道路を颯爽と走ってくるMPVの社内には、黒ずくめの集団がお行儀よく座っている。 一人は女性だが、残りはすべて男性。全部で6人いただろうか。快調に走るMPVが突然急停車する。 なんと高速道路が前方で途切れているではないか! まさに映画「スピード」の世界。停車した MPVの両サイドのドアが電動(のように見える)で滑らかに開くと、社内の男性達が機敏に飛び 出して行った。彼らは、どこから取り出したのか2組に分かれてロープを高速道路の断面から 突き出している鉄筋に引っ掛けて、無言でぐいっと引っ張った。するとあーら不思議、鉄筋 コンクリートとおぼしき高速道路がぐにゃりと上に反り返るように曲がるではないか。社内に 一人残っていた女性が運転する新型MPVは、それをジャンプ台にしてかるがると途切れた高速 道路を飛び越して、遥か彼方へと走り去ってしまった。スポーティーに生まれ変わったMPVの イメージを訴求するには良くできたCMだ。映像も全編通してクールな色でかっこいい。しかし、 途切れた高速道路の端っこに取り残された黒づくめの集団は置き去りなのか? MPVは、彼らが 道路をジャンプ台状態に保っている間に飛び越えていってしまった。女性は得意げに 薄笑みを浮かべて行ってしまった。路上で呆然と立ちすくむ彼らの姿が見えるようだ。彼らは いったい何のためにここまで来たのか。まさか、高速道路が切れていることを知っていた女性 にだまされて、労働力として連れて来られただけなのか。だとすれば悲しすぎる。 こんな途切れた高速道路でタクシーがつかまることもないだろうし、ヒッチハイクしようにも そもそもここは通行してはいけないのではないか? そうすると待てど暮らせど他の車など くるはずもない。はたして黒づくめ軍団の運命やいかに? 続編のCMで彼らは無事救出される のだろうか・・・がんばれ、黒づくめ軍団!


2003年12月2日 同時プリント

 瀬戸大橋のフォトコンテストがあるので、今年の正月に下津井で写した写真を応募 してみることにした。応募しようかと考えていた写真は2枚あって、昨晩そのネガと同時 プリントを引っ張り出して確認してみたのだけれど、改めて見るとこれがよくない。 1枚はそれなりなのだが、もう1枚は露出オーバーで色味は薄く、どうみても失敗作。現像が 上がってきた直後に見たときに、失敗だと思って没にしてしまっただけのことはある。しかし、 念のためフィルムスキャナでパソコンに取り込んでみると、意外と悪くなかった。どうやら 原版がだめなのではなくて、同時プリントがいまいちなだけらしい。 そこで、ネガを写真屋さんにもっていって、いっさい色味や明るさを調整しないで ネガに忠実にプリントしてほしいとたのんでみた。ちなみ、そういうのを「ノーマル で焼く」というそうだ。
 できあがった写真を見てびっくり。見事に濃淡のグラデーションが再現された 夕暮れの青い空に、ライトアップされた瀬戸大橋と、その下にある下津井漁港が見事に きれいに再現されていた。あの同時プリントはいったいなんだったんだ。どうしてああ いう改悪といえるような修正をしてしまうのだろうか。機械任せの自動補正だと、おそ らくちょっと暗めの夜景などは無条件に+1ぐらいの露出補正をしてしまうということ なんだろう。やはり、同時プリント600円というお安いプリントはろくなもんじゃあない なあということだ。しかし、同時プリントはネガの絵柄と色味を見るためだけのサムネ イルと思えば、現像自体は問題ないのだからまあいいか。あとは、よさそうなものを 別途2Lサイズなどできちんと焼いてみれば本来の色調はわかるはず。やはり、初期投資は 安くあげて、これはと思うものだけお金をかけてプリントするというほうが効率はいい かもしれない。どちらにしても、同時プリントを信用してはいけないということだけは、 はっきりした。


2003年12月1日 地球温暖化

 いまさらながらの話だが、12月になろうかというこの時期に、きょうはなんだか 暖かかった。小学生の頃は、11月の終わりごろといえば初氷がはったりして、白い息を はきながら学校に通っていた記憶がある。中学生の頃から暖冬などという言葉をよく 聞くようになったが、最近は寒い冬が来ることがどちらかというと珍しいような雰囲気 がある。スキー場は人工降雪機をつかってなんとか12月から営業しているところが 多いようだが、この先西日本でスキー場が運営できるのは、標高が高いごく一部のところ だけになる可能性が高い。それなのに、岡山県新見市の鳥取県境に近いところに新しい スキー場がオープンした。果たして投資を回収できるのか、かなり怪しい気がするが、 もともと温泉施設のあったところなので、冬場の集客を見込んでのことなのだろう。
 岡山にはもともと大規模なスキー場はほとんどなく、小さなローカルスキー場 が数箇所あるだけだった。その意味では、温暖化が進んでもそれほど大きな損害をこう むらなくてもすんだのだろうが、新設スキー場は県下最大規模だとか。もっとも、あく までも県下最大なので、広島や兵庫の有名スキー場と比べればやはり小規模だ。最近の 新聞に東北方面の大きなスキー場が経営不振で営業譲渡されたという記事が出ていたが、 首都圏からのスキー客を取り込むことができるスキー場ですらこういうことになる時代だ。 はたして新設されたアルカディア新見スキー場の未来は明るいのだろうか。


2003年11月30日 冷静と情熱のあいだ

 ツタヤで100円セールをやっていたので久しぶりにビデオを借りてきた。4本借りて 来た中の1本が「冷静と情熱のあいだ」だった。もともとあまり邦画は見ないうえに、ラブ ストーリーはもっと見ないのだが、なぜか目についてかりてきてしまった。舞台がイタリア のフィレンツェだというところが気になったのかもしれない。
 フィレンツェは、10年以上も前に、初めて外国旅行をしたときに訪れた街。歴史を 感じさせる石造りの町並みと、そびえたつ巨大なドゥオモ。庭園のようにきれいで安心感の あるドイツから入ってきたイタリアは、最初街がどことなく埃っぽくて汚い感じがした。 駅前にたむろしているイタリアの若者達がなぜか胡散臭く見えて、危なそうな街だなという 印象をもったことを良く覚えている。しかし、1日、2日と経つにつれて、僕はこの町が 好きになっていった。それは、この街の人たちがなんだかすごく活気にあふれていて、 一生懸命生きているように思えたから。アルプスの北にある国は、どちらかといえば日本 と同じような雰囲気がある。近代的なビルときれいな自動車、街の人たちはどこかクールだ。 それに比べてイタリアの町は、古臭く、薄汚れた感じで、なぜか危険な雰囲気がどことなく 漂っている。けれど、街の人たちはとても人間くさく、マーケットやお店に入るとわりと ほっとできる。イギリスやフランス、ドイツでは、レストランに入るとどこか自分がよそ者 なんだということを感じさせられるような気がしたが、イタリアではまるで日本で居酒屋 にでもいるかのように、気楽な雰囲気でいられた。なんというのか、要するにアルプスの 北の国々は、町は仕事の場所という感じがするのが、イタリアの町は生活の場所なのだ。 その後訪れたスペインでも同じ雰囲気を味わったので、やはりアルプスの北と南で気候風土 だけでなく文化や人間性も異なっているということなのだろう。。
 ビデオを見ながら、フィレンツェの町を歩いたことを思い出した。しかし、ドゥオモの てっぺんに登ったのかどうかがどうしても思い出せない。フィレンツェまで行って登っていない ということはないと思うのだが、どうも記憶が定かではない。なんとなく狭くて暗くて細い 階段の中を登ったような記憶が断片的にあるのだが、それがはたしてドゥオモだったのかどうか がはっきりしない。しかも、てっぺんから町を眺めた記憶はまったくない。それでも、ドゥオモ のそばにある塔を高いところから見たという記憶は残っているので、やはりドゥオモに登った ということだろう。なぜなのだろう。この旅行では西ヨーロッパを3週間かけて回ったのだが、 その他の町でどこに行ったのか、何を見たのかは今でも鮮明に覚えている。それなのに、ドゥオモ の記憶だけがはっきりしない。しかしながら、この映画の中で僕はフィレンツェの町を再体験 したような気がする。
 ストーリーは淡々と進みながらも、退屈させられることはなかった。フィレンツェの町の 映像に興味を引かれていたからなのか、それもと単純に映像とストーリーがよかったからなのか、 おそらくそのどちらも正解だろう。映画の中で、ケリー・チャン扮するあおいが約束の日が来る のを一人で待ちつづけたことを、竹之内 豊が扮する順正が「彼女は冷静だった」と語る部分が あったが、不幸な別れを10年近く昔に経験していながら、それでも想いを消すことなく持ちつ づけたということは、相当な情熱家でなければできない。彼女の冷静な行動を動機づけ支えた ものが、順正への愛という変わらぬ情熱だった、ということなのだろうか。フィレンツェ、いつか もう一度訪れてみたい町である。


2003年11月22日 ふたり乗り

 自転車のふたり乗りをときどき見かけるのだが、最近はなぜか女の子が自転車 をこいで、男が後ろに乗っているパターンが多い。これはどういう現象なのだろうか。 さすがに20代以上と見られるカップルの場合はほとんどこういうことはないのだが、 10代らしきカップルは不思議と女の子がこいでいる。
 体力的に男が衰えたというわけではないだろうから、イニシアチブをどちらが とっているかということが一つの要因なのかもしれない。しかし、この場合、どちら がイニシアチブを取っているのだろうか。男がとっているとした場合、今の30代から 上ぐらいの人なら、通常は自分がこぐという判断をするだろう。しかし、今の10代は もしかすると楽をすることを優先するのかもしれない。めんどくさいこと、疲れること はしたくない。だから自分は後ろに乗って、女の子に運転と自転車こぎをやらせる。そ ういうことになるのだろう。もしそうなら、今の10代の男は将来就職で苦労したり仕事 が大変になると、簡単にあきらめて楽な方向に逃げる可能性が高い。
 女の子がイニシアチブを取っている場合、自転車の後ろに載せてもらおうという 意識はないということになる。男が情けないのか、それとも女が積極的になったのか、 どちらにしても10代の女の子は男に頼るとか、男になんとかしてもらおうなどという 依存心が昔よりもなくなってきているのかもしれない。それは、長引く不況でどんな 立派な企業に勤める男であっても、いつリストラされるかわからないという現実を敏感 に感じ取っているからなのかもしれない。頼れるのは最後は自分。将来になんの確証 もない男がいつまでも自転車をこぎつづけられるわけでもないし、ましてやどこに行く のかもわからない。それならいっそ自分の力で先へ進み、行き先も自分で決めたい。 この世代の女の子には、潜在意識にそういう気持ちがうまれつつあるのかもしれない。 そう考えると、近い将来、女性が社会をリードする時代が来る可能性が高いといっても よさそうである。


2003年11月16日 赤い羽根募金

 年末になると赤い羽根募金が始まるが、あの募金の運営方法にはいつも疑問を もつ。まずは、タレントを使ったTVCM。タレントの契約料にスポットCM料金だけでも 数千万円にのぼるだろう。そんなことに大金をつぎ込むくらいなら、そのぶん福祉なり 奨学金なりに使ったほうが、よほど役に立つ。そもそも赤い羽根募金なんて、もう 世の中の人は知っているだろう。それに、基本的に募金が集金方法なんだから、TVCM よりも街頭募金に力を入れたほうが現実的だ。
 それからおかしいと思うのが、町内会組織を使って半強制的に集金のように募金 を集めていること。しかもわざわざ募金封筒まで用意して、名前と金額まで書かせるの である。近所の目とか体裁があるので、たいていの人はやっているようだ。僕の母親 も近所の手前があるのでと、2千円ぐらい入れているらしい。こういう人間の心理に つけこんだ金集めの方法をとること自体がうさんくさい。しかも封筒に名前と金額 を書く欄を設けるとは、いったいどういうことだろう。募金はあくまでも個人の善意 によってなされるもので、名前とか金額を公にする必要などまったくないはずだ。
 毎年募金総額と使途について報告するためのチラシが配られるが、このことは いいことだと思っている。しかし、その内容を見るとどうも無駄遣いがおおいような 気がする。しかも、使途がいまひとつ不明瞭で、どこかいびつだ。交通遺児への寄付 などほとんどなかったように記憶している。車の寄付とかの物納もあり、なんだかメーカー と結託しているのではないかと勘ぐろうと思えばできないでもない。
 もちろん、それなりの目的と理由を持ってきちんと募金を利用しているのだと思う が、毎年恒例の行事と化して、団体の側ですこし気持ちが大きくなりすぎているのではないか。 この不況の時期に集まる募金は、多くの国民の良心の賜物だ。すこしでも無駄にしないため に、運営方法や分配先などをもう一度見直してみる必要があるのではないか。


2003年11月14日 四角い太陽

 この秋一番の冷え込みとなった14日の朝、朝から晴天ということで久しぶりに 錦海湾へ朝日を撮りに出かけた(仕事は午後からだったので)。気温は6度。寒いのは 寒いが、雲ノ平や涸沢で体験した寒さの記憶が残っているのだろうか、それほど冷え 込んでいるとは思わなかった。
 午前6時ごろ撮影スポットに到着すると、すでにカメラマンが10人近く三脚を 並べていた。日の出の撮影スポットだけに、平日でも人気は高いようだ。とはいえ、 長い堤防の上は、撮影場所には事欠かない。沖合のカキいかだにちょうど船が横ずけして カキを引き上げる作業をしていたので、その船の後ろから太陽が昇るように場所を決めて 日の出を待った。
 海面には海霧が漂い、いい雰囲気だ。やがて水平線からオレンジの液体がゆっくりと あふれ出てくるように太陽が顔をのぞかせた。寒い日の朝は、空気よりも海水のほうが 暖かいため、海面上に暖かい空気が漂い、それが上昇していくので、ゆらゆらと空気が 揺れ動いて太陽をゆがませる。この日、ゆっくりと大気中にあふれ出てきた太陽は、 やがて円になる前に四角形に姿を変えた。こんな太陽を見たのは初めてだ。夢中で シャッターを切ったのはいいが、なんだか興奮で舞い上がってしまい、まともに露出の 調整ができたかどうかあとから考えてみると怪しい。まあ、出来上がりのほうは現像から 帰ってきてからのお楽しみだが、今日はすごく貴重なものを見たような気がした。 やっぱり、朝日・夕日は最も感動的な被写体だと思う。


2003年11月11日 Word vs 一太郎

 今、IT講習のインストラクターをやっているのだが、最近とある行政関係の機関に 長期で出かけている。で、講習する内容はWord、Excel、PowerPoint、ホームページ ビルダーなどが中心なのだが、行政関係の職員がなぜいまごろWordを勉強しなければ ならないのか。理由は一太郎。ジャストシステムを否定にするつもりはないのだが、 民間の企業では、ワープロといえばもっぱらMS-Wordだが、国や県などの官公庁はいま でも一太郎が主役なのだ。純国産ソフトということで、日本企業を支援するという意味 もあるのかもしれないが、いまでは少数派であることは厳然たる事実。一太郎で仕事 に困ることはないはずだが、やはり外部とのデータやファイルのやり取りが多くな ると、どうしてもWordがあったほうが都合がいい。しかし、もっと切実な理由があったようだ。
 それはアプリケーション間のデータ互換性の問題。ようはOLE機能がうまく働かない ということらしい。ワープロは一太郎でも、表計算ソフトはExcel、プレゼンソフトは パワーポイントがあたりまえらしいのだが、一太郎にExcelの表やグラフを貼り付けると、 ときどきおかしなことになるらしい。それに、パワーポイントとの連携などもやはり マイクロソフト製品で統一されていたほうが都合がいい。そういうわけで、最近マイクロ ソフト製品を勉強し始めたということのようだ。
 日本語ワープロソフトとしての完成度は、一般的には一太郎のほうが高いと言われ ているが、そこは商売の世界の話。必ずしもいい製品がスタンダードになるとは限らない。 一太郎といえば、かつて初めてパソコンを触ったときに使ったワープロソフトだ。当時は まだDOSのパソコンだったので、マイクロソフトの製品は影も形も無い状態だった。そのうち Windows3.1が出てようやくGUI環境が整った。それでもしばらくはワープロといえば一太郎 の状態が続いたが、Windows95が爆発的に売れてからは、立場はすっかり逆転してしまった ようだ。ソフトなんて完成度がそれほど違わなければ、あとは慣れの問題。さらに、他の 多くの人が使っていることも重要なファクター。こうなってしまうと、一太郎復活の見込みは、 ないだろうなぁ・・・


2003年11月5日 雲ノ平ギャラリー

 すでに1ヶ月も経ってしまったが、9月後半に行って来た雲ノ平の写真をようやく 公開することができた。まだ撮影したフィルムの4分の1しか現像していないので、その 中からなんとか公開に耐えられそうなものを選んだ。いつになったら出てくるのやら と半ばあきれて待っていたという人ももしかしたらいるかもしれない。誠に申し訳ない 限りだ。今回は6点だけだが、これから少しずつ追加していく予定なので、こりずに また観てもらえれば幸いだ。
 10月半ばからやたら忙しい状態に陥っている。年末はどうやらクリスマス直前まで ばたばたして、クリスマスからの冬休み期間は、卒業論文の追い込みでこれまた忙しい のが年明けまで続きそう。スキャンしていないフィルムは紙袋いっぱいになりつつある。 とりあえず卒業論文のめどを早くつけることが最優先課題。


2003年10月29日 幻のイヌグスの巨樹

 今日、久しぶりにテレビで「獄門島」をやっていた。昔からいろんな人が金田一耕助 を演じてきているが、今回の金田一はずいぶんと若い。しかもハンサム。それはそれで 悪くないのだが、やはりどこか飄々としていながら知性を感じさせる風貌の金田一といえば、 石坂浩二が一番似合っていたのではないかと思う。ところで、横溝正史の一連の作品の多く は岡山県が舞台になっているというのは有名な話だと思うが、獄門島は笠岡市沖の笠岡諸島 の中の島ということになっているらしい。
 ところで、この笠岡諸島の中に真鍋大島という無人島があるのだが、その島 に日本でも最大級のイヌグスの巨樹がある。イヌグスとはタブノキの別名で、主に西南日本 の海岸沿いに分布する常緑樹。東京奥多摩にもめずらしくこの巨木があるが、いまではあまり 見られないようだ。真鍋大島のイヌグスは、根元付近から2株に分かれているらしいのだが、 大きいほうは幹周りが6.4m、小さいほうでも3.7mという大きさで、樹齢は約400年と推定 されている。これまでは、人がすんでいないことからこの島に渡る船便はなかったのだが、 真鍋島の島おこしとして見学用のチャーター船が出るようになったらしい。見たくても簡単に 見ることができなかった幻のイヌグスが見られるようになったわけだし、今年中に一度 行ってみようと思っている。


2003年10月28日 骨折り損のくたびれもうけ

 大山の紅葉がちょうど見ごろをむかえた。27日は仕事が休みだったので、26日から 避難小屋泊まりの1泊2日のつもりで、撮影に出かけた。わずか1泊2日とはいえ、山の上の 季節はもう冬なので、意外と荷物は多くなった。45リットルのザックでは余裕がまったく ない状態だったので、結局北アルプスに持っていった65リットルのザックを背負う羽目に なってしまった。もっともシュラフ類がかさばっているだけなので、重さはそれほどでも なかった。
 鍵掛峠登山口から鳥越峠を目指して登っていくと、途中でテレビのロケのようなこ とをしていた。大判カメラを三脚に据えた年配の男性が、なにかを一生懸命テレビカメラ に向かってしゃべっていた。なんでもいいけど、狭い登山道にテレビカメラを据えて撮影 しなくても、もうすこし余裕のあるところでやればよさそうなもの。いったいなんの番組 なんだろうか。おそらく、大山を撮影テーマにしている地元のアマチュアカメラマンを 紹介する番組だったのだろう。
 ところで、今年の紅葉はどうも鮮やかさがいまいちで、なんだかいくら歩いても 撮りたいシーンにめぐり合わなかった。曇っていて日差しが無かったせいもあるだろう。 しょうがないので一枚も撮ることなく、目的地である駒鳥避難小屋にお昼前に到着してし まった。大山にはいくつか避難小屋があるが、他の避難小屋はけっこうきれいで、一人で 泊まるのもぜんぜん気にならないレベルなので、駒鳥小屋もてっきりそうだとばかり思って いた。ところがこの小屋は、入ってびっくりするぐらい荒れていた。ドアはきっちりしまら ない。小屋の中は狭くて、ススで黒く汚れ、窓ガラスは一応二重サッシになってはいるものの、 ひび割れていたり、内側の窓ガラスが一部閉まらなかったりで、状態はよくない。しかも 床板の隅っこのほうがねずみか何かにかじられたように穴があいていて、しかも木屑が散乱 していた。小屋の中にゴミ袋が置いてあり、中にはゴミが捨てられていた。山ではゴミは 持ち帰るもの。そういう最低限のマナーも守れない人が少なからず利用しているようだ。
 とりあえず、せっかく重い荷物を担いできたのだから、翌朝晴れることを願って 1泊していこうと決めた。小屋の中には炉があったので、焚き火をしようと河原に降りて 枯れ木を拾い集めて、準備万端整えた。最後に、小屋の空気を入れ替えようと窓を開けた とたん、窓の上から何か黒いものがボタリと落ちてきた。なんだろうと目を凝らすと、 なんと大きな蛾。ゴキブリでなかっただけまだましだけど、これを見た瞬間に、やっぱり 帰ろうと思った。夜寝ている最中に、顔の上にこんなものが降りてきたらと考えただけで、 ぞっとする。まして、ゴキだのネズだのがちょろちょろされた日には、おちおち寝ていら れない。
 ということで、大きく重い荷物を担いで、しかもカメラとレンズも一式持って、 まったく使うことも無く日帰りで帰ってきたのであった。これこそまさに、骨折り損の くたびれもうけ。それにしても、どうして一枚も写真を撮ることができなかったのだろうか。 雲ノ平の写真の現像が徐々に上がってきているが、どうも出来が良くない。これでちょっと 気持ちがへこんでしまったのかもしれない。もっとも、日本アルプスの鮮やかな紅葉を見た あとだけだけに、紅葉というよりやや枯れたという雰囲気のただよう大山の紅葉に気持ちが ときめかなかったということもあるかもしれない。どちらにしても、もう一度撮りたくなる までしばらく写真はお休みかな。どうせカメラも壊れたことだし・・・


2003年10月19日 秋祭り

 県北にある鏡野町というところに行ってきた。目的は、日本一といわれている柿の木の 写真をとるため。柿の木の写真を撮っていると、ちょうど地元にある香々美北(かがみきた) 神社の秋祭りをやっており、御神輿が担がれて回ってきた。面白いのは、御神輿といっしょに 神主さんと女性の禰宜さん、それに獅子舞が2組と太鼓を担いだ人などがぞろぞろとついて 来て、各家に入っていく。変わったお祭りだなと思い、いっしょになってついていくと、 入っていった家の庭で、なんと獅子舞を踊り始めた。二頭の獅子が向かい合って飛んだりはねたり しながら踊り、最後は地面にぴったり伏せておしまい。笛と太鼓が奏でるお囃子にあわせての 踊りなので、結構にぎやかでお祭りっぽい。神主さんにすべての家を回るんですかと聞くと、 この地域の昔からの風習で、こうやって地域の家々を無病息災・家内安全を祈願するために 回るんですと教えてくれた。
 お祭りというと、神社の境内でやるもの、みんなが神社に出かけていくものと思い込んで いたが、そういうお祭りもあるんだなと新たな発見でもしたような気分になった。考えてみれば、 それぞれの家でお払いをしたほうが効果も高そうだし、すんでいる人も気分がいいだろう。実際、 獅子舞を家の縁側から見ていたおばあさんは、うれしそうにお礼を言っていた。
 最近はお祭りもイベント化して派手になった。岡山でも高知のヨサコイ祭りをベースにした うらじゃ祭りというのが行われるようになったが、お祭りというよりダンス大会といった様子だ。 開催を否定するつもりはもちろん無いが、鏡野町で見たような昔ながらのスタイル が今でもきちんと受け継がれているのを見ると、岡山のオリジナルのお祭りはいったいどうなった んだろうかと、ちょっと気になった。もっとも、うらじゃ祭り以前には特に何もなかったので、 岡山は街をあげて行うようなお祭りは無かったのかもしれない。


2003年10月13日 Z-1壊れる

 北アルプスから帰ってきてから、3日間ほどは疲れのためにひたすら寝るばかりの毎日だったが、 そのあとは大学の卒論の進行状況の報告発表の準備に、バイトのための資料作りとやたら忙しい 1週間がやっとおわった。せっかくの3連休だが、土曜日はバイトだったし、日曜日と月曜日は天気が 良くないということで、たまってしまった写真のスキャンとHPの更新作業に費やすことになりそう。
 死んでしまったZ-1を、もう一度電源を入れていじりまわしていたら、ウィーンという音とともに 復活。上がりっぱなしだったミラーが元に戻って、シャッターも押せるようになったのだが、やはり シャッター周りから異音がする。連写したりして調子を見ていたら、再びミラーが戻らなくなった。 電源を切ったり入れたりすると元に戻る。どちらにしても、やはり修理に出さなければならないことに 代わりは無いようだ。ペンタックスのサイトに簡単見積もりシステムがあったのでやってみたら、 シャッターまわりのトラブルはおよそ14,000円かかるとのこと。Z-1の中古なら20,000円程度で買える し、モデルチェンジしたZ-1pでも40,000円強だから、このさい中古を買うというてもある。 さて、どうしたものやら。


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