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2004年9月24日 サスペンスドラマ

  午後遅く起きた日、とりあえずテレビをつけてみると、ちょうど「吉備津鳴釜殺人事件」 というサスペンスドラマが始まるところだった。主演は片平なぎさと船越栄一郎のコンビで、 片平がフリーライター、船越がカメラマンという役だった。  ドラマは岡山県北の小京都と言われる津山市から始まった。津山の有名な刀工を取材する 予定だったのだが、先方から約束の時間を遅らせてほしいとの連絡が入り、1時間後に刀工 の自宅へ行くことになった。その空いてしまった1時間をつぶすために、吉備津神社 の鳴釜(なるかま)神事を取材に行こうということになった。ご存じない方のために簡単に 解説しておくと、吉備津神社というのは桃太郎のモデルになった吉備津彦命(きびつひこの みこと)を祭った神社で、岡山ではけっこう有名で大きな神社だ。拝殿は国宝にも指定され ている。その境内に吉備津彦命が討ち取ったとされる鬼の首が埋まった建物があり、その首 の上に設置された大きな釜を炊いて、ゴーと音が出たら願い事がかなうという言い伝えがある。 言ってみれば一種の占いなのだが、古典の「雨月物語」の中にも出てくるほど古くから行われ ている神事だそうだ。
 で、その神事を取材に行くのはけっこうなことなのだが、吉備津神社というのは岡山市の 西のはずれにあり、津山から訪れるとなるとどんなに急いでも1時間以上かかる距離なのだ。 1時間しか時間がないのに、それはいくらなんでも無茶な設定だなと思う。岡山県人が見たら すぐ嘘っぱちのストーリーだとわかるし、反対に知らない人がこれを鵜呑みにして観光にき たらいい迷惑だ。サスペンスドラマがご当地観光案内番組をかねているのはすでに周知の事 実だが、話の中に各地の観光地をちりばめなければならないからといって、あまり無茶な展開 はドラマを軽々しくするだけだと思うのだがいかがなものだろうか。プロデューサーはタイ アップすることに執着しすぎて、ドラマに迫真感をだそうという意識はないのかもしれない。 ついでに言えば、備前長船の刀工がいるとすれば、やっぱり備前市周辺のほうが無理がない。 それに、津山が舞台なのに宿泊先は湯郷温泉の大きな旅館というのも、いかにもタイアップ ですということがばればれ。これでもかと言うぐらい旅館の看板が大映しになるしねえ。 タイアップで制作費も浮くだろうし、なにかと便宜も図ってもらえて、そのうえおいしい話 もあるだろうし、ドラマの質よりも金がすべてということか。やっぱり、日本のマスコミに ジャーナリズムは存在しないということなんだろう。
 余計なことだけど、船越の使っているキヤノンのカメラ、連写音が毎秒3コマ程度だった ことから判断するとプロが使うにはやや物足りない機種らしい。刀工が竹だかワラだかを 一刀両断するところを連写するシーンがあったけれど、あれだと決定的瞬間が撮れていない だろうな、とついいらぬ心配をしてしまった。一応プロのカメラマン役なんだから、 もう少しいいカメラをキヤノンさんから借りられなかったのかな。

2004年9月20日 彼岸花

 先週あたりから彼岸花がちらほら見られるようになった。なんだか、いつもの年より 咲くのが早いのではないかという気もするが、まあ、こんなものだったかもしれない。
 彼岸花って、いつ見ても不思議な雰囲気のする花だと思う。毒々しい赤色もそう だし、葉っぱらしいものがあまりはっきりとついていなくて、長く伸びた緑色の茎の 先に、大きな花がでんと付いている。茎を切ると白い汁が出てくるし、なにかあの世の 花という感じがしないでもない。たくさんの彼岸花が土手やあぜ道を埋め尽くすように 咲いている姿をみると、妙に異質な感覚を受けるのは僕だけなのだろうか。それは、突然 別の世界に迷い込んでしまったような、そんな違和感ともいえるような感覚だ。実際には 見えないけれど、花の向こうに見てはいけない何かの姿を感じているのかもしれない。 なんて考えるとちょっと不気味かな。

2004年9月16日 女性の相談は要注意

 又聞きの話だけれど男と女は近くて遠い生き物だと思わせることがあった。ある夫婦 の話だけれど、奥さんが旦那さんにあることを相談をした。ある問題に突き当たってしまった ことやその状況などを説明した後に、自分なりにこういう風にしてみようと思うということを 話したところ、旦那さんは「それは、そうじゃなくてこういう風にしたほうがいいよ」と 答えたとか。それを聞いた奥さんはすっかり怒って離婚することをひそかに決心したらしい。 なぜかというと、奥さんは別に旦那さんに解決方法のアドバイスを求めていたのではなく、 単純に話を聞いてもらって、「応援するからがんばれ」と言ってほしかっただけだったとか。
 しかし、この話はほとんどの男性からは賛同を得られないと思う。反対に女性からは そのとおりといわれるのだろうか。男性が他の人に相談をする場合は、本当に自分で答え を見つけられないときが多いと思う。どうすればいいかわからない、だから相談するのだ。 相談されたほうは、当然答えを求めて相談してきた相手に対してなんらかの回答を示さなけ れば、役に立たない奴というレッテルを貼られてしまい、信用はがた落ちということになる。 だから、男性は相談されると話しの内容を一生懸命考えて、最良と思われる答えをとにかく 導き出すということを無意識的にするものだ。これは、仕事の上でもまったく同じで、自分で 判断したり決断することをいろんな場面で迫られるから、どんな場合でもなんらかの答えを 出すように、好むと好まざると訓練されてしまう。そうできないと、優柔不断な男といわれて しまうからね。そういうことを踏まえて考えれば、旦那さんのしたことは全然悪くない。 そんなことが離婚の理由になるのなら夫婦生活なんかうまくいくはずがない、と思ってしまう。
 そうはいっても、そういうところをちゃんと汲んで、アドバイスをすべきかどうか を考えることをしないと、女心のわからない野暮な奴ということになるんだろうな。そういえば、 女性の洋服の買い物に付き合う場合、どの服がいいかと聞かれたら、絶対にどれがいいと言って はいけないという話を聞いたことがある。この場合、まず「君はどれが気に入っているのか」 と逆に質問して、女性がいいと言った服が自分も良いと思うし、一番良く似合うとほめてあげる ことが最善の回答だとか。この場合もすでに答えは決まっていて、最後に背中を押してもらい たいというわけだ。不可解なのは女心なり。
 ただし、多くの男性の好みのタイプは、男性の意見に従ってくれるタイプの女性であるはず。 このあたりが男と女の間にある超えられない溝なのかもしれない。

2004年9月13日 ビデオ三昧

 3日から12日までTUTAYAの半額セールがあったので、思いっきりビデオを借りて来て 見まくった。合計12本。すでに何を見たかすべてタイトルを言えない状態。面白いの もあればつまらないものもあった。
 邦画で一番面白かったのは「踊る大捜査線  ベイブリッジを封鎖せよ」。一番つまらなかったのは、「陰陽師2」。陰陽師は1作目 がそこそこ良かっただけに、なんとも期待はずれ。もしかしてこれはロードショーも されていないのかな? とにかく、話が冗長で盛り上がりに欠けた。クライマックス のシーンが野村萬斎の女装と踊りでは、話にならない。うっかりうたた寝をしてし まったほど。これから観ようと思っている人にはお勧めできない作品。
 洋画では、「フォーン・ブース」があまり期待していなかっただけに、かなり GOOD。公衆電話からほとんど画面は動かないのだけれど、次にどうなるのかけっこう はらはらどきどきで楽しめた。それから「Tears of The Sun」が見ごたえ十分で、 かなりの力作だった。ブルース・ウィルスはすっかりスキンヘッドになってしまった けれど、相変わらず渋い。「ブルース・オールマイティ」「シャンハイ・ナイト」 「英雄の条件」「閉ざされた森」など、どれも面白かったが、「Kill Bill」は どんなもんだろうか。面白くなかったわけではないが、ちょっと残酷なシーンが多すぎ るような気がする。しかも、最初から1部完結でないつくり方も、この手の映画として はやや疑問も残る。ロード・オブ・ザ・リングとは違うからねえ・・・

2004年9月9日 プロ野球

 なんだか妙に大騒ぎになっているプロ野球だけれど、なんで2リーグ制にこだわる のかよくわからない。全部あわせてもたかだか12球団しかなかったんだから、1リーグ にしてみんなで競い合えばいいんじゃない? サッカーだってそうじゃない。パリーグ は人気がない。だから客が来ない。したがって赤字経営になる。結果、運営できないから 合併なり売却なりするというのは、球団が企業として経営されている以上あたりまえ の話。べつにナベツネの肩を持つつもりはないけれど、面白くないスポーツは金にならない のである。そもそも、先日のオリンピックを見て見なさい。人気のある競技しかテレビに 出てこないじゃない。射撃とかアーチェリーとかヨットとかがゴールデンタイムにたとえ 録画であっても放映されただろうか。プロ野球だってそれと同じこと。
 個人的にはプロ野球も2部リーグを作って、1部リーグの最下位チームは翌年は2部 リーグに落ちるようにすれば危機感が出ていいのではないかと思う。それに、野球も時間 をきっちり区切るべきだ。いつまでもだらだらやっているからつまらないのだ。バッター 一人につき持ち時間は3分と決めて、3分以内に勝負が決まらないときは、ピッチャーとバッター で一発勝負するというのはどうだろう。サッカーのPKのようなもの。ピッチャーはストライク しか投げてはいけない。バッターは必ずバットを振らなければいけない。三振かヒットか、 はたまたアウトか。かならず勝負は決まる。そのほうが勝負が明快でいいのではないだろうか。 そうして、定刻にきっちり試合が終わるようになれば、テレビの中継が延びて録画していた 番組が尻切れトンボになって激怒する人が減ることだろう。その結果、アンチプロ野球派が 減って、野球人気が復活するかもしれない。まあ、そうなっても僕はプロ野球は嫌いだけどね。 特にナベツネがオーナーの巨人軍なんて、絶対に応援しない。読売新聞も絶対にとらない。 だから勧誘にくるな、と声を大にして言いたいのだ。

2004年9月7日 雲ノ平2004年夏

 スキャンがやっとこさ終了したので、とりあえず20点だけだがアップした。 実際には60点近くあるので、3回に分けてアップしていく予定。

2004年9月5日 悪夢

 僕は知らない町にいた。町の中にある大きな広場のようなところには、 お土産屋が何件かあったが、まだ朝早いためどこもしまっていた。広場の 一角に小さな観光案内所があった。広場に面したガラス窓にはその町の観光場所 の案内などが整然と貼り付けられていた。時刻は午前9時前。観光案内所も 入り口は閉じられており、人の気配はなかった。どこか面白そうなところは ないかと、ガラス窓に貼り付けられている案内チラシを見ていたら、何かの 博物館だか資料館だかの案内が目にとまった。内容は良くわからなかったが、 とりあえず面白そうだなと思った。
 「そこへは無料の送迎バスが出ていますよ。」 チラシを熱心に見ていた ら突然横から声がした。見ると、制服を着たおばさんがにっこりと笑いながら たっていた。どうやら観光案内所の職員のようだ。「そうですか。バスはどこから 出ているんですか?」と尋ねると、「この広場からです。ほら、あそこにバス停が あるでしょう。もうすぐ出ますよ。」と、おばさんは広場の一角を指差しながら 教えてくれた。その指の方向をみると、なるほど、大きなバスが止まっていた。 それは、やけに大きな観光バスだった。無料送迎バスにしては豪勢だな。そう 思いながらも、「ああ、あれですね。わかりました。どうもありがとう。」と 礼を言って、バス停に向かって歩いていった。
 バスに近づくと、係員らしい男性が、「無料送迎バスです。もうすぐ発車し ますので、ご乗車ください。」と僕を誘導した。言われるままにバスに乗りこむ と、すでに数名の観光客が車内にいた。僕は一番前の席に座り、発車を待った。 間もなく、バスはエンジンをスタートさせ、大きな身震いをしてからバックし始めた。 バス停は広場に面してあり、そのまま普通に発車するのになんの問題もない。 「なんでバックなんだろう」と不思議に思ったが、とりあえず方向転換が必要なんだろう と思って外の景色を眺めていた。しかし、バスはバックのまま広場から道路に出て行った。 「外に方向転換場所があるのか?」と思っていたら、バスはスピードを上げ始めた。 小さな田舎町はすぐに町並みが途切れて、道はくだりの山道になった。曲がりくねった 道を、大型観光バスはバックのまま走り抜けていく。しかも、スピードはどんどん 加速されていく。「おい、何やってんだ!」 僕は運転手に向けて怒鳴った。しかし、 運転手はまったくそ知らぬ顔でバック運転を続けていた。
 やがて、前方に大きな左カーブが見えてきた。そのカーブは対向車線が工事中で、 片側交互通行になっていた。こんなスピードであのカーブに突っ込んだら曲がりきれずに 工事現場に突っ込んでしまう。「やばい!」と思った瞬間、バスはコーナーにつっこんだ。 車体は大きく右に傾きながら、なんとかぎりぎりでカーブを曲がっていく。しかし、 コーナー出口はややカーブがきつくなっていたらしい。運転手がハンドルをさらに切ると、 バスは工事現場に設置されているフェンスを弾き飛ばしながら、ずるずると横滑りを はじめた。工事車両をぎりぎりで交わしながら、なんとそのまま180度回転し、フロントを 前に向けて立て直した。座席にしがみついていた僕は、奇跡的にカーブを抜けてバスの 姿勢も正常に戻ったことで安堵のため息をついた。しかし、その瞬間、カーブを抜けたところで 片側交互通行の信号待ちをしている車が見えた。バスはその車に向かってまっすぐ突っ込んで 行った。それはまるでスローモーションのようだった。信号を跳ね飛ばして猛烈なスピードで 乗用車に近づいていくバスは、やがて破裂音のような音とともに乗用車と正面からぶつかった。 乗用車はまるでビリヤードの玉のように、勢いよくはじかれてそのまま後方に飛んでいった。 そして、その向こうから走ってきた4輪駆動車に衝突した瞬間、ふたたび跳ね返されるように こちらに戻ってきた。バスは相変わらずまっすぐ走り続けており、戻ってきた乗用車を こんどは真横に弾き飛ばした。ぐしゃぐしゃにつぶれた乗用車はまるてピンボールのように 猛烈な勢いではじかれて、道路わきの林の中にこわれた部品をばら撒きながら消えていった。
 道はまっすぐなくだり坂で、バスはさらにスピードを上げていく。すぐに道の先にカーブ が見えてきた。かなりきつい左カーブだ。そして、ちょうどカーブのところに大きな 工場のプラントがあった。もし、このスピードでこのままカーブに入れば、確実に曲がり きれずにあのプラントに突っ込む。そうなれば一巻の終わりだ。あっというまにカーブが 目前に迫った。なすすべもなく、シートにしがみついてぐんぐん大きくなってくる工場のプラント を見ながら、「もうだめだ。」と思った。
 その瞬間、目が覚めた。夢・・・? おいおい、何なのいったい? 時計を見ると午前 7時30分。虚脱感と放心状態で、15分ほどベッドから起き上がることができなかった。 まさか正夢というわけでもあるまいが、当分バスには乗りたくない気分。

2004年8月30日 夏の決算

 撮影コマ数約900枚。この夏、7月と8月に訪れた雲ノ平で撮影した写真の数がこれ。 フィルムにして25本分になるのだが、これをすべてチェックして、これはと思うもの だけをピックアップしてスキャンしたら、およそ60カットになった。ようやくこの土日 でスキャンが終わったのだが、これからさらに絞り込んでHPに掲載するまでには、 まだしばらくかかりそう。ついでに、昨年撮影した分も見直してみるとけっこういまいち なものがおおいし、スキャン品質もあまりよくないので、これもやり直さなければならない。 銀塩フィルムって、デジタル化するのはやっぱりめんどくさい。
 しかし、デジタル一眼レフがいいかというと、一概にそうも言えない。というのが、 電源もない山の中に1週間もこもるとなると、予備電源、データ保存用ストレージ等けっこう たくさんの機材を担いでいかなければならない。これは、けっこう大きな負担となる。 銀塩一眼レフなら、本体とレンズ以外には予備電池を1個もっていけば事足りる。フィルム だって20本持っていってもたいした重さにはならないし、容量もそれほどかさばらない。 取り扱いも簡単だし、フィルムのメリットは意外とあるのだ。
 ちなみに、今回の費用はフィルム代が約22,000円、現像代が20,000円で、合計42,000円。 予備電池は必要なかったので、コストは0円。もし、デジタル一眼レフを持っていったとしたら、 2GBのメディアが約50,000円。ポータブルハードディスクが約30,000円。予備バッテリーや電池 が約10,000円。もちろん、新規にデジタル一眼レフを買うことになるわけだから、レンズを 買わなくてもいい*istDにしたとしたら、約130,000円追加で、しめて、約220,000円なり。 年間で70,000円フィルム関係に使うとしたら、デジタル一眼レフにした場合約3年で元が取れる 計算になる。5年も使えばすっかりお得というわけだが、果たして毎年のように性能が高いモデル が安い価格で発表されるデジタル一眼レフを、3年以上使い続けられるのかというのが一番の 問題。おそらく、無理。下取り価格が半額程度だとしても、やはり2年に一度ぐらいは100,000円 近い出費が必要になる可能性が高い。どうせデジタル用に性能アップしたレンズもほしくなる はずだから、結局高い買い物になるのは目に見えている。そんなお金はありません・・・
 大きさ、重さの問題にプラスして、コストの面でも実は銀塩フィルムのほうが安いとなると、 あわててデジタル一眼レフに飛びつく必要もなさそうだな、と自らを納得させる夏の終わりであった。 (本当は、とにかく使ってみたいというのが正直なところ)


2004年8月23日 インクジェットプリントの保存性

 インクジェットプリンタで出力した写真の保存性は、あまり良くないという話が 多い。数ヶ月もすると色があせて汚くなるとか、場合によってはわずか1ヶ月ももたない という人もいる。
 ところが、昨年の8月にA4サイズにプリントした桜の写真を、そのまま裸で本棚の 上に画像を上にしてほったらかしにしていたのだが、先ほど久しぶりに見てみると、ほとん ど退色も変色もしていなかった。もちろん、直射日光があたるような環境ではないが、 とくに光があたらないようにしていたわけでもない。顔料インクでないと保存性が悪いという話を 信じて顔料インクのプリンタを買おうと思っていたが、これなら染料インクでも問題 ないように思える。ちなみに、先の桜のプリントは、機種はエプソンPM-880Cで、用紙は エプソン純正PM写真用紙を使用した。もっとも、PM-880Cの前に使っていたNEC PICTY700 の場合は、カラープリントしたものを机の上にほったらかしにしておいたら、1ヶ月程度 で変色していたので、メーカーや機種によってかなり異なるようだ。

2004年8月19日 オリンピック

 アテネオリンピックは久しぶりのメダルラッシュに沸いているが、どういうわけか 今月はまるで普通のサラリーマンのように朝から夕方まで平日はずっとお仕事という わけで、ライブ映像をさっぱり見ていない。いつも夕方から夜にかけて放送される ダイジェスト版しか見ていないので、結果のわかった映像を見ていることになり、 気分的には大して盛り上がらないのがかなしい。
 そもそも、開幕からして山の中にいたせいで知らなかった。出発前にちらっと スケジュール的に見られないなあと思ったが、そんなことはすっかり忘れていた。 下山時に休憩に立ち寄った太郎小屋で受付においていたテレビを見てやっと思い出した というほど、浦島太郎状態だったのだ。というわけで、世間の興奮とはうらはらに なぜか他人事のように冷静に見ている。
 ところでまったく話題に上らないのだけれど、マウンテンバイクは正式種目として 競技が開催されているのだろうか。前回のオリンピックでは競技をしていたように記憶し ているのだけれど・・・ 話題にならないということは、日本人は出場していないと いうことなのか。ダウンヒルなんてけっこう迫力があって面白いと思うんだけれど、 人気がないから映像としてはみせてくれないんだろうな。

2004年8月15日 快晴の雲ノ平山行

 7月の山行とは比べ物にならないほどの好天に恵まれた今回の山行。心配した 膝の痛みもたいしたことはなく、気持ちのいい景色を満喫することができた。 特にうれしかったのは、お盆の混雑期であったのにもかかわらず、山小屋で は3泊とも布団を一人一枚で利用できたこと。これだけでも疲労回復には大きな 違いがあると思う。やはり、最悪となる土日をはずしたことがよかったのだろう。 それにしても団体さんの多かったこと。いつも秋の登山だったので、こんなに 多くの登山者を見たのははじめてだ。アプローチの長い雲ノ平の山域でも多い と感じるのだから、槍・穂高など北アルプス表銀座や立山はほとんど歩行者天国 状態だったことだろう。山はやっぱり、静かなのが一番だ。

2004年8月10日 とりあえず雲ノ平リベンジ

 膝の調子は全快とは行かないまでも、なんとかなりそうな気がするので、 とりあえず今晩からふたたび雲ノ平へ行くことにした。登ってみて、膝が つらいようなら雲ノ平はやめて太郎山あたりのお花畑でぶらぶらしてから 下山するつもり。
 昨晩、パッキングしてみたら、今回は2泊3日(場合によっては3泊4日) の山小屋泊まりということで相当軽いと思っていたが、意外と重かった。 このまえよりも確実に軽いことは確かだが、膝にどの程度影響するのかは 未知数。ま、なるようになるでしょう。何事も案ずるより産むが易し。 あとは天気だけが心配の種。金曜日ぐらいまでは台風の心配もなさそうなので、 今回は豪雨に見舞われる可能性は薄そう。
 ということで、今から髪を切りに行って、食事して、ぽかぽか温泉に行って、 いざ出発。15日に帰ってくる予定ですので、サイトの更新やレスはそれまで お待ちください。

2004年8月5日 猛暑と豪雨の夏

 今年は猛暑だけでなく、やたらと台風やら大雨やらが多い。 数日前に台風10号が通り過ぎたばっかりだというのに、もう11号が襲来。岡山はちょうど 先週あたりに渇水問題が浮上していただけに、運がいいといえばいいのだろうが、土砂災害に 見舞われた四国では、まさに泣きっ面に蜂というところだろう。
 来週、11日からお盆休みで5連休となるので、密かに雲ノ平にリベンジに行こうかと思ったり しているのだが、この調子だと来週の天候もどうなることやら。わずか5連休で雲ノ平に行って帰る のはかなり無謀な強行軍なのだが、7月の山行の結果をみるとこのままこの夏を終わりにするのはちょっと 悔しいというのが本音。1日で入山し、雲ノ平山荘に2泊して、ふたたび1日で下山という予定は、考えると げんなりするが、それでも好天に恵まれれば苦労の甲斐はありそうな気もする。再び膝痛に悩まされかね ないが、今回は山小屋泊まりなので荷物は軽いはず。7月のときよりは楽な山行になるだろう。 問題は今の膝痛と天気。とりあえず、ぎりぎりまで様子を見て、決行か中止かを判断することになりそう。 しかし、中止でもただごろごろするのはもったいないので、もう少し楽なところに撮影旅行という手も ある。どちらにしても、結局涼しい長野県に行くことになりそうな予感。

2004年7月31日 後遺症その2

 膝痛と比べると後遺症というほどのものではないが、就寝時にやたら足裏が火照って寝られなく なるという奇妙な状態が続いている。寝るまではなんともないか、やや足がむくんだような感じ になっている程度なのだが、ベッドに入って30分もすると足がやたら熱くなってきて、たとえ 寝入りばなでも不快感で目が覚めてしまう。
 足の火照り自体は今に始まったことではなく、子供の頃からあった。昼間走り回ったり、 部活が厳しかったりすると、眠ってからでも足が火照って目が覚めた。こういう場合、仰向けになって 壁に足を持たせかけ、20分ぐらい足を上げたままの状態にしておけば自然に火照りは収まったもの だが、それがまったく効果なし。しかも、今回は昼間はたいして足を酷使していないのに毎夜火照り がひどい。まったく原因不明の症状だ。
 足を酷使するスポーツをすると足裏の毛細血管が破壊されるという話を聞いたことがあるが、 もしかしてそれなのだろうか。血管が破壊されて血流が滞り、体の末端組織である足裏に血液やリンパ などの体液が滞留してしまうということか。人間は、眠りにつくときには手足の末端から熱を放出 して体の深部体温を下げることで眠りに入るというから、放出すべき熱を帯びた体液が過剰に足裏 に滞留して不快なほどの火照りを引き起こしている。読みかじりの乏しい知識をつぎはぎして考えた 理屈はこうだが、しかし、下山してすでに半月が経つのだから、そろそろ血管も再生されていもいいの ではないかと思う。それとも、もっと時間が必要なのだろうか。
 なんにしても、眠れないというのはちょっと困るので、薬局で「熱さまシート」を買ってきた。冷 蔵庫で冷やして足裏に貼ると、結構気持ちいい。一気に熱をとるとはいかないまでも、ほどほどに効果は あって、なんとか寝られるようになった。そうはいっても、早く直ってくれないと「熱さまシート」の コストも馬鹿にならないのだ。

2004年7月29日 銀塩カメラの未来

 少し前にニコンが銀塩コンパクトカメラからの撤退を決めたらしいというニュースが出ていた。 フィルムを使用するコンパクトカメラは、市場全体で生産量・販売量とも大幅に落ち込んでいる とのことなので、いつかこうなることは想像に難くなかった。今は、コンパクトカメラといえば デジカメだし、わざわざフィルムを使うカメラを買う人もあまりいないだろう。遠からず、他の カメラメーカーも後を追うことになるだろう。
 銀塩コンパクトカメラはネガフィルムの利用者がほとんどだったはずで、この市場がなく なるとネガフィルムの消費量も大幅に落ち込むことになるはず。そうなると、フィルムメーカーは フィルムの生産も縮小していくことになる。事実、コダックはフィルムの生産よりもデジタルカメラ 関連商品の生産に比重を移しつつあるらしい。富士フィルムだって、いまではりっぱなデジカメメーカー だ。ネガフィルムよりも消費量の小さいポジフィルムは、かなり趣味的な利用者が多いし、プロの利用 も多いので、そう簡単にはなくならないと思うが、いずれマニアックな商品になりそうな予感はする。 個人的には当分フィルムを使い続けるつもりなので、消費量の減少に伴って生産コストが上がり、 フィルムの価格が上がるのだけは勘弁してほしいと思う今日この頃。

2004年7月27日 後遺症

 後遺症というほどのものでもないのだが、北アルプスから帰ってきてすでに10日以上経った というのに、ひざのだるさが消えない。普通に歩いたりするのには何も問題はないのだが、階段 の上り下りなどひざに負担がかかるようなことをすると、ひざの動きが渋いような、硬いような、 それでいてなんとなくだるいという感じがする。要するに軽快感がない。
 15日に帰岡してから5日ほどはただごろごろして過ごしたが、その後時々ウォーキングやら ジョギングやらをしている。そのときにもややひざの動きは渋い。痛みはないので、それだけは 不幸中の幸いというところ。考えてみれば、下山した日には10kgを超える荷物を担いで12時間 ものあいだ、標高差1000mの山道を登ったり下ったりしていたのだから、ひざへの負担は相当なもの であったはず。それにしても、これほど後を引くとは思わなかった。これも、年齢のせいなのかと思うと ちょっと憂鬱。関節にいいというグルコサミンのサプリメントを飲んでいるのだが、これって本当 に効くのだろうか。グルコサミンのほうは100円ショップで買ったやつだから、期待するほうが 無理かもしれない。とりあえず、薬局へ行ってもっとまともなグルコサミンサプリメントを買ってこよう。

2004年7月26日 ワンピース

 女性にとってワンピースというのは、ちょっと特別な服であるというようなことをかなり 以前にどこかで聞いたことがある。いや、読んだのかもしれない。というのが、お見合いのときに 着ていく洋服はワンピースであるという話が発端で、そういう話になったように記憶している。 つまり、ワンピースは、女性らしさを強調し、より美しく着飾るための服なのだとか。
 へぇ、そうなんだ。と感心したというかちょっと意外だったというか、とにかく 知らなかったなぁという感じだった。で、そんなことはすっかり忘れていたのだが、先日とある サイトにワンピースの話題が書かれており、そこで思い出したというわけ。
 しかし、である。男にとっては、正直、そんなことはわからないし、知らないし、興味もない というのがほとんどだろう。しかも、ワンピースという言葉は、あまり男にとってはいいイメージ はない。男がワンピースと聞いて想像するのは、あのツナギなのだ。そう、自動車整備とか農作業 とか、服が汚れるような作業をする時に着る服、それがワンピースなのであって、決して特別な時 に着飾るような服ではない。
 とういうわけで、女性がデートのためにバッチリメイクして、とっておきのワンピースを着て 行ったのに彼氏が一言もほめてくれないといって怒ってはいけない。男にとってワンピースとは、 所詮その程度のものなのだ。服で男の気を引きたいのなら、それなりに露出が多いとか、色使いが 派手だとか、ボディコンシャスでセクシー路線とか、そういう付加価値がなければ難しい。もっとも、 中には女性の服装に少なからず興味を持っている男もいるだろうから、服をほめてほしいのならそういう 相手を探すしかないだろうな。

2004年7月21日 三菱自動車

 三菱自動車は再生できるのか。現在の興味のひとつがこの問題。かつて、牛肉問題で 不正を行った雪印食品は社会から拒否されて解散の道をたどる結果となった。三菱自動車が 世の中にとって必要な会社であるとされる根拠が果たしてあるのかどうか、そこが運命の 分かれ道だ。
 正直な感想を言ってしまえば、三菱の自動車が世の中からなくなっても誰も困らない。 自動車メーカーは他にたくさんあるし、三菱でなければ作れないタイプの車があるわけでもない。 その意味では、三菱復活の可能性はかなり低いといわざるを得ない。あとは、三菱自動車と販売 会社がどこまで信頼を回復できるかにかかっている。ところが、三菱自動車のユーザーに たいして行っている無料点検の費用を、三菱自動車は1件当たり5000円の費用負担しかしていない というから、どこまで本気で信頼回復を図ろうとしてるのかかなり疑問が残る。全国にある 三菱系の販売会社の7割は独立系の会社であるという。三菱自動車とは資本関係もない独立系の 会社に、信頼回復の一番重要な部分である点検サービスの費用をおんぶに抱っこというのだから あきれてしまう。本来、設計製造の側の問題であるのだから、全額メーカーが負担してもいい ぐらいであろう。少なくとも費用の半額を負担する程度のことをしなければ、メーカーとして 責任を取っているとは思えない。販売会社の中には解散してしまったところもあるという。 もちろん、リコール隠しに心ならずも協力した形になった販売会社にも責めを負うべき点はある。 とはいえ、販売会社にとっては厳しすぎる状況であるといえるだろう。
 三菱自動車関係の方には申し訳ないが、今の状況を見ている限り、三菱自動車に未来があると は思えない。まだまだ考えが甘いのではないか。販売会社を犠牲にして三菱自動車が生き残ったと しても、今後誰が三菱の自動車を販売してくれるのか。過去の資料を再点検して隠蔽された リコール問題を明らかにすることももちろん大切だが、三菱ユーザーの心にある不安と不信を払拭 するための施策をもっと重視すべきなのではないかと思う。今重要なのは既存ユーザの心をつなぎ とめることだ。今後完全な信頼回復ができたとしても、競合他社のモデルを圧倒的に凌駕するほど の魅力的なモデルが出てこない限り新規ユーザの獲得などそれほど容易ではない。既存ユーザが 離れて行き、新規ユーザの獲得もままならないとなれば、三菱自動車の未来はない。今そこにある 危機がなんであるのか、三菱自動車の経営陣は理解しているのだろうか。しょせん、どこまでいっ ても三菱の体質は変わらない、そんな気がしてくる。少なくとも私は、この会社の車を購入すること は将来においてもないと思う。

2004年7月19日 はじめての夏山

 7月8日に富山県折立から入山して、14日に下山するまで雨と風と雷に歓迎された山行だった。 1日中晴れたのは8日だけ。9日はそれでも夕方までは晴れていたが、その日の夕方から 土砂降りの雨が降り始め、10日は午後からずっと雷が鳴り響いた。10日の朝は数時間 晴れたものの、すぐに豪雨となり、結局11日の深夜まで雨は降り続いた。12日は朝から 晴れたので、数少ないチャンスをものにするために真夜中に出かけて、一時登山道を 外れて迷いもしたが、撮りたかった場所で撮りたい写真が撮れて、なんとか無駄な山行 にならずにすんだ。
 お昼前に、テントに帰ってくると再び雲行きが怪しくなってきたので、テントが 乾いているうちにたたんで、雲ノ平から3時間ほど下ったところにある高天原というところ に移動することにした。歩き始めてすぐに雨がぱらぱら来たが、豪雨になる雰囲気では なかったので、そのまま歩き続けた。ようやく高天原山荘に到着した頃には、雨脚が やや強まったりもしたが、それでも昨日までの豪雨と比べればたいしたことはない。 しかし、夜になるとふたたび滝のような雨。しかも、翌日もまったくやむ気配がない。 結局、高天原山荘に2泊して、14日に雨が上がったのを幸いに本来なら1泊2日の行程の ところを12時間歩き続けて1日で下山した。
 登山口から林道を下ったところにある亀谷温泉で疲れを癒し、15日に岡山へ帰り 着いたが、やはり下界の暑さはこたえる。少々寒くても、山の上の涼しさは格別だった。 それにしても、今回はさすがにテント山行にかなりうんざりしてしまった。どんなに荷物を 減らしても、テントとシュラフだけで、結構な重さになる。今回は食料や燃料は最終日には ほとんど使い果たしていたにもかかわらず、帰りのザックの重かったこと。疲れや体力低下 なども原因なのだろうが、正直、長期山行でのテント利用はもうやめようかとつくづく 思った。カメラ機材は減らすわけには行かないので、やはりテント関係をやめるしかない。 まあ、お金はかかるがやはり山小屋利用に越したことはない。雨でも比較的ゆったりできるし。 ということで、今年の秋には山小屋利用でもう一度紅葉の撮影を目指して行ってみようと 思っている。


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