2008年3月31日 個展初日
今回は事前の準備がかなり済んでいたので、1時間もあれば会場準備は終わるだろうと思っていたら
なんのことはない、前回とたいして変わらない結果になってしまった。結局すべて終わったのは11時30分。
本来の開場時間から1時間半も遅れてしまった。もちろん、額に入れているメインの展示作品の展示は
開場前に終わっていたのだが、余興で作ったはり合わせ写真に思ったより手間取り、説明文の貼り付けが
後回しになってしまった。まあ、初日の朝は来場者もほとんどなく、実質は午後開場のようなものだった
ので助かった。朝一番に来られた3名様にはご迷惑をおかけして申し訳なかったと反省している。
来場者数は50人ほどで、多くは案内状を差し上げた方々だった。やはり写真を趣味にしているという
人がほとんどのようで、初日から来られるからにはそれなりに写真が好きな人ばかりということだろう。
忙しくて行けそうにないと事前に連絡いただいた難波由城雄さんも、午後からいらっしゃっり、いろいろと
お話させていただいた。今年は、イギリスで活動されるとのことで、いよいよヨーロッパ進出らしい。
岡山から世界のNANBAになる日も近いかもしれない。
心配していた照明による色味の変化もなく、自宅で確認したとおりの色が出ていた。ただ、会場が
専用のギャラリーではないため、写真に直接あたる照明がなく、全般的に暗いというのが玉にキズ。
もう少し明るければ写真も映えるだろうに、残念なことだ。
今回はどこのテレビ局も取材に来てくれなかったので、明日からはちょっと暇になりそうな気もする。
結局とりあげてくれたメディアは、アサヒカメラ(写真展告知のみ)、日本カメラ(写真展告知のみ)、
山陽新聞(27日朝刊情報ひろばで告知のみ)と、やや寂しい結果だった。結構ちゃんとした案内文を作って
わざわざ封書で送ったのになあ・・・やっぱり2週間前というのがまずかったのか。それとも、ちゃんと
出展作品のサンプルを写真用紙に印刷したものを同封すべきだったのか。まあ、次からはもう少し
戦略的に広報活動を考えよう。
2008年3月30日 出展作品
個展に先立ち、このサイトの「スペシャルギャラリー 醍醐桜」に出展作品のうちの未掲載分を 追加した。既掲載分も出展作品は再スキャンし色調整し直したものに差し替えてあるので、はじめから見ていただければ すべての出展作品が見られるようになっている。ただし、自分で言うのもおこがましいが、圧倒的に大伸ばしのプリント で見たほうがいい。Webで見る画像は若干荒いし、ディテールがわからない。今回は銀塩のプリントに結構近づいたと思う。 お近くの方はぜひ会場でご覧いただきたい。
2008年3月26日 移動手段は徒歩
最近、市内に出かけるときはすべて徒歩で出かける。別に自転車で行ってもいいのだけれど、 ささやかなメタボリック対策として、できるだけ歩くようにした。毎日歩いているわけではないので、 目に見えて変化があったわけではないが、体調は悪くない。岡山駅までなら15分、県立図書館まで でも40分程度で行けるので、ちょうどいいウォーキングになる。今年は、昨年行けなかった北アルプス にまた登りたいと思っているので、トレーニングとしても有効かもしれない。
2008年3月25日 個展まであと5日
いつの間にか初日まで1週間をきってしまった。印刷はとりあえずすべて終了した。
今回はすべて日中に印刷をおこなったので、現地で色味が異なって見えるという演色性の問題は
少ないと思う。実際、前回の出展作品をあらためて日中にみてみると、結構色かぶりしていたり、色が
浅かったりで、こんなので出展したのか・・・とわれながらがっくりくるものもあった。まあ、前回は
実質2回目ということで、デジタルの色調整もあまりよくわかっていなかったこともあるし、直前まで
ばたばたしていたせいで、じっくり色味を検討する時間もなかったので、しょうがないところもある。
とはいえ、やっぱり個展をやるからにはまともな色味の作品を展示するのが大前提。まだまだ勉強不足
であると実感した。
週末までに説明文などの細かいことをやり終えて、土日にもう一度すべての作品を見直してみよう
と思っている。今回はエプソン純正写真用紙をつかったためか、これまでよりも色の深みや光沢感が
いいように思う。やっぱり純正が一番だ。顔料インクは染料インクに比べて光沢感に劣るが、紙との相性
によってもずいぶん結果が異なるように思う。
ついでに、ひとつお遊びの巨大プリントを作ってみた。といっても、大判プリンタを買うお金は
とうぜんないので、A3用紙20枚をはり合わせて作った巨大な醍醐桜の写真だ。もともとは、そんなことを
考えて1000mmレンズで分割写真として撮影していたもので、PCで合成して1枚の巨大な写真にしようと
思っていた。ところが、やっぱり個々の写真の色味が結構違っていて、合成するとパッチワークのような
おかしな写真になってしまった。1枚づつ色味を調整してそろえるなんてことはさすがに手間がかかりすぎる
ので、それならいっそ別々に印刷してつなぎ合わせてみたほうがパッチワーク然として面白いのではないかと
いうことでやってみた。結果は横1.5m×縦1.2mというとんでもない大きさになってしまった。どうやって展示
するかが問題だ。
2008年3月20日 MEsuper故障
16日に陽気に誘われて久しぶりに撮影がてらのサイクリングに出かけた。目的地は総社市国分寺だが、
もともとは吉備路として整備されているサイクリングロードを出発点から走ってみたいというのがきっかけだった。
というのも、地図を見ていたらたまたま出発点が案外近所にあることがわかったため。それは岡山市内の総合グラウンド
(通称運動公園)の北西角。国道53号線の津島交差点から吉備路が始まる。しばらくは国道53号線に沿って西進するが
すぐにサイクリング専用道路になる。距離はおよそ20km強で、自転車なら2時間程度で走破できる。もっとも途中に
吉備津神社など見所もあるし、休憩などいれると3時間ぐらい見ておいたほうがいいかもしれない。
今回は本格的な撮影はあまり考えていなかったので、300万画素の古いデジカメをメインに、念のためMEsuper
を持って行った。結局、MEsuperは使う機会がなくそのまま持ち帰ったのだが、帰ってからシャッターがおりない
ことに気がついた。シャッターボタンが押せないのではなくて、ボタンがすかすかでシャッターが無反応なのだ。
おそらくシャッターチャージの機構が壊れてしまったのだろう。なにしろ古いモデルなので修理できるかどうかの問題
もあるが、修理する価値があるかのかどうかも問題である。すでにデジタルへの移行を本格的に検討している
段階で、修理してももはや使用する機会がないかもしれない。とはいえ、今修理しておかないと将来は修理不能
になる可能性もある。それに、ペンタックスは修理を受け付けてくれるのかもわからない。結局、このカメラは
購入以来36枚撮りのネガフィルムを1本写しただけで壊れてしまった。
2008年3月19日 個展準備その後
案内状の送付とメディアへの告知がやっと終了した。山陽新聞社から早速確認の連絡があったので、
おそらく27日の朝刊に掲載されるだろう。それにしても、本刷りがまだ半分しか終わっていないのが問題
である。まあ、順調に行けば来週はじめにはおわっていると思うのだが、これが案外手間取ってしまうこと
があるので、やや気がかりなのだ。ためし印刷がおわっているのだから、あとはそのまま印刷すればいいだけでは
ないかと思っていたのだが、どういうわけか日を改めて確認用にもう一度同じ設定のまま試し印刷してみると
微妙に色味が変わってしまう。再調整してA3ノビサイズで印刷してみると、今度は試し印刷ではわからなかった
問題が出てきたりして、予想外に時間がかかる。もちろん紙とインクの無駄でもある。とりあえず、1日4枚を目標
に印刷を粛々と進めるしかない。
ところで、先日地元岡山の写真家である難波由城雄さんから電話があった。案内状をもらい、ぜひ行きたい
のは山々だが、4月初旬は仕事がたて込んでいて行けないかもしれないというお詫びの電話だった。なんとも
ご丁寧なことでこちらが恐縮してしまった。難波さんとは直接お付き合いがあるわけではなく、2回目の個展から
見に来ていただいているので、お顔とお名前を存じ上げているという程度である。難波さんは後楽園の四季折々
の風景を撮影し、その写真集も刊行されている。また、写真展「岡山後楽園の四季」を日本各地をはじめ、オランダ
でも開催するなど、その活動はアマチュアのレベルをはるかに超えている。何年か前にカメラ雑誌でその作品
を拝見したが、後楽園にもこんなに美しい表情があったのかと驚き、かなり強烈なインパクトを受けた記憶がある。
今回、電話とはいえいろいろとお話させていただき、やっとお近づきになれたような気がする。そのうえ自分の
写真展に興味をもってもらえるとは、大変光栄なことと思う。
2008年3月6日 個展準備
個展に展示する作品の選定と試し印刷がひととおり終了した。あとは本番向けの印刷と案内状の送付ぐらいで 、いままでのようにあたふたしなくても余裕を持って準備ができそうなきがしてきた。などといっていると油断して、 結局前日徹夜なんてことになるかもしれないので、そこは気を引き締めていかなければ。エプソンかキヤノン の岡山営業所に行って協賛と機材およびサプライ品の提供をお願いしようと思っていたが、結局紙とインク代が浮くという だけのことで、それも1万円程度のことなので、そのためにわざわざ企画書書いてお願いにあがるのもなんだかなあ という気がしてきた。
二大カメラ雑誌である日本カメラとアサヒカメラには、すでに写真展の案内を送ってあるので、うまくすれば3月20日 発売号に掲載されているかもしれない。マスコミ対策としては、近いうちに地元のテレビ局や新聞社に案内状をだすつもり。 なにしろ時期的にちょうど桜の季節の開催なので、もしかしたらまたニュースなどで取り上げてくれるかもしれない。
2008年3月2日 物置にて
寒さもやっと和らいで、外での作業も苦にならないようになった。そこで、懸案だった自宅物置の片付けと清掃 を行い始めたら、とんでもないものが出てきてしまった。なんと、野良猫の死骸。それも、ウジのわき始めた状態で もうげっそり。おそらく、わりと最近飢えと寒さで凍死したのだと思われる。無造作に積んであった鍋らしき丸いものの中に 丸くなった状態で固まっていた。顔を背けながら、母親と二人で不要な段ボール箱にいれてゴミ袋にいれて処置したが、 さすがに胃がむかむかする思いだった。とはいえ、本格的に暖かくなるまで発見が遅れていたらもっと悲惨なことに なっていたはずで、この段階で発見できたのはむしろ不幸中の幸いだろう。この時期に掃除することにしたのは、ゴキブリ など昆虫類に悩まされずにすむという理由からだが、えらくごっついハエが飛び回っていておかしいなとは思っていた。 教訓。物置の掃除は春になる前にやれ。
2008年2月12日 インテリアコーディネーター試験合格
本日合格通知が届いた。発表は15日ごろということだったので、週末まで待たされると 思っていたが、意外にも早い通知にちょっとびっくり。封筒が小さくて、最初は不合格通知 かと思ったが、中を見てほっとした。とはいえ、合格しただけでは正式な資格とならないのが 面倒なところだ。登録料13,650円を振り込み、写真と登録申請書を郵送してはじめてライセンスが もらえるという仕組みになっている。昨年受験した資格試験の結果がこれで出揃ったわけだが、 建築士とインテリアコーディネーターの両方に合格できたのは、本当に幸運だった。
2008年2月11日 残念な結果に・・・
意識不明の重体で雪山に取り残されていた塩田氏が、今朝遺体となって発見された。
状況を考えれば、生還の可能性は非常に低いということはわかっていたが、残念でならない。
今年の夏には、写真家として集大成となる滝谷の写真集を出版される予定になっていたという
から、その完成を待たずに逝ってしまわれたわけだ。
塩田氏のサイトの掲示板には、同行者が現場に放置したことを非難するような書き込みも
あったが(すぐに削除されたようだ)、現場の状況を知らない第三者がうかつなことを言うべきではない。当時は吹雪であり、
雪崩によって登山道から100mも流されたということなので、捜索は困難な状況だったと思われる
し、二重遭難の危険性も高い。先行の3名は、吹雪で視界も悪く風で雪崩の音も聞こえなかった
可能性もある。先に山小屋に着いて第一報を聞いたときには、もう夜だった
のだろう。早い時間にわかっていたら、常識的には救助に向かっていたと思われる。
塩田氏と一緒に雪崩に巻き込まれ自力脱出した二人が、どのような判断で二人だけで下山した
のか知る由もないが、現場に残していくことが何を意味しているのかわからないわけはない。
自分の荷物を捨ててでも、おぶって下山することはできなかったのか、という疑問も残る。しかし、
この二人も打撲や捻挫で歩くのがやっとだったかも知れないし、たとえ軽症であっても女性であった
なら意識のなくなった男性をおぶって深雪の山を下るのは無理だったろう。いづれにしても、
そうせざるを得ない状況にあったということだ。とにかく、今はただ塩田氏のご冥福を祈るだけだ。
2008年2月10日 遭難
本日の新聞朝刊にショッキングな記事があった。新聞によってタイトルは異なるようだが、中央アルプスで雪崩が発生し、 男性1名が意識不明となり、現場で救助を待っているというもの。この男性は、当サイトからもリンクをはらせていただいている 「山・一期一会」のサイトを運営する山岳写真家の塩田卓夫氏だ。岡山で開催された塩田氏の写真展で一度お会いしたことがある 程度で、特別親しいお付き合いをさせていただいているわけではないが、写真家であると同時に建築士でもあるという点で、私と の共通点があり、その山岳写真のすばらしさにも尊敬すべき点の多い方である。頭部の強打により出血し、意識不明の状態である ということで容態が気になるところだ。厳寒期の中央アルプスでの遭難は、天候が悪ければ 簡単には救助することができないが、わずかでも天候が回復してくれればヘリコプターによる救助が可能になる。とにかく、一刻も早く救助され 無事戻ってこられるよう祈るのみだ。