あわや、オホーツクの藻屑!? 〜 北海道自動車旅行 その1

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1、序章
 北海道。北緯40度付近に位置する北の大地は、大陸的な風景を見せてくれる日本では数少ない場所だ。 学生の頃はバイクで気ままに回りたいと思っていたが、結局その夢は実現せぬままバイクからは遠ざ かってしまった。1998年の夏、二輪から四輪へと相棒は変わったが、かつて憧れていた場所を踏みしめ る機会がようやく訪れた。
 その年の2月に2回目の転職をした僕は、夏が近づく頃には仕事と会社にも慣れ、気持ちの上でもかな り余裕を持って生活を送れるようになっていた。外資系のコンピュータ会社ばかりを渡り歩いてきたため、 転職しても扱う製品が変わるぐらいで、仕事自体にもそれほど大きな違いがなかったこともあったのだろう。 上司は僕よりも若いまだ20代の米国人女性でスージーという名前だった。小柄で、見た目にはラテン系の血 が混ざっているようにもみえ、どこから見ても部長の肩書きを持つようには見えなかった。中国系シンガ ポール人の日本法人社長とシンガポールオフィスで一緒だったことで、抜擢されて日本に来たらしいという ことだった。日本では部長職だが、シンガポールではマネージャではなかったとかで、抜擢された理由に 関していろいろとよからぬうわさもあった。部内ではそういうことへの反感から彼女を嫌う人もいたが、 僕は仕事の邪魔にならない限りプライベートなことや自分の仕事に関係ないことは気にしないので、とくに 好きでも嫌いでもなかった。特別切れ者という感じではなかったが、人柄もよく、それほど違和感もなく付 き合うことができた。外国人のマネージャにつくのは初めてでもなかったし、個人的には日本人よりも外国人 のほうがあまり気を使わなくてすむ場合が多いので、英会話が必要ということを除いてはかえって楽だった。

 8月に入ったばかりの頃だっただろうか、とあるイベントの企画運営の会議があった。8月の末ごろに日本 市場における販売力強化のために、販売協力会社向けの製品発表会とパーティーを行おうという企画で、 宣伝畑を歩いてきた僕がそのイベントのコーディネートを任されていた。発表会の内容や事前のスケジュール などはほぼ固まっており、会議といっても各製品担当者の発表内容や予定の確認が中心で、1時間もしないうち に会議は終わった。
 会議が終わって少し雑談などしているときに、スージーが気を利かしてくれたのだろう、「本番まで時間が 少なくて大変だろうけどがんばってね」と声をかけてくれた。この手のイベントは過去に何度もやり慣れて いたのでたいしたプレッシャーもなかったのだが、あんまり平気そうなのも手抜きと思われかねないので、 「大変だけど問題はないからきっと成功するよ」と返しておいた。そしてその後に、「イベントが終わったら 遅い夏休みをとろうと思っているんだけど、問題ないよね」と付け加えた。彼女としても、一仕事終わった後 にすぐ次の仕事をやれとも言いづらいだろうし、タイミングとしてはいい時期だ。もちろん彼女の答えはYES だった。どちらにしても、イベントの後に具体的になにかが決まっていたわけではないので、問題があるはず もなかった。休みをとることを躊躇させるような雰囲気は外資系の会社にはない。その点では非常にフランク でやりやすい。ただし、本社の干渉が大きいと仕事自体はやりにくい場合がある。太平洋の向うの連中に引っ 掻き回され、挙句にこちらはただ言われたことをやるのみということになってしまう。この会社はまさにそう いう会社で、結局1年間勤めただけで3度目の転職をしてしまった。

 それはさておき、無事夏休みも確保できた僕は、北海道の地図を買い込んで、どういうルートでどこを回ろ うかなどと、すっかり北海道旅行に夢中になっていった。
 北海道に渡る方法はいくつかあるが、車で行く場合のもっとも楽な方法はフェリー利用だ。東京からだと うまい具合に有明埠頭から釧路行きのフェリーが出ている(この航路は確か廃止が決まっていたため、2002年 現在ではおそらくなくなっていると思う)。しかし、北海道まで1.5日を要するため、往復で3日も無駄にして しまう。平日5日間の有給休暇を取り、前後の土日をあわせて9日間の夏休みで3日も船の中で過ごすのはさすが にもったいなさ過ぎるので、結局もっとも時間を節約できる方法を選ぶことにした。それは、東北自動車道を 自走して、青森からフェリーで函館に渡るルートだ。東京から青森まで約700km。その間をずっと独りで 運転するのである。東京から実家の岡山へ帰るのとほぼ同じぐらいの距離だから、軽く10時間はかかることに なる。しかも、少しでも時間を節約しようと、出発は金曜日の夜、会社が終わってからだから、回りの景色も ろくに見えない単調な暗闇の高速道路である。いくら運転することは好きだといっても、考えただけでげんな りしてしまいそうだ。そうかといってほかに方法があるわけでもなく、これは事実上唯一無二の選択肢だった。
 問題がひとつあった。愛猫ハナビである。スキーなどに2泊ぐらいで行くようなときは、家に独りで留守番して もらっていたが、さすがに9日間もほおって置くわけにもいかない。出張などで家を空けるときは、行きつけ の動物病院のホテルサービスを利用していた。1日3000円と結構するのだが、出張の場合は出張手当てが出るので、 それでだいたいまかうことができる。しかし、今回はプライベート。手当てなど1円も出ない。しょうがないので、 出費を覚悟でペットホテルを考えていたら、会社の同僚がなんと預かってくれるというではないか。いやあ、 助かった。3万円が浮いた。

2、出発の日
 出発当日の夜、大急ぎで家に戻って準備をし、いぶかるハナビをキャリングケースに押し込んで、一路江東区 の自宅から大田区の同僚の家まで車を走らせた。キャリングケースの中で不安そうに鳴くハナビをなだめながら、 品川のあたりを走っているときに、なんだか地面から水が湧き上がってくるような妙な音がし始めた。何かと思っ て見ると、なんとハナビがゲロゲロになっていた。慣れない車に酔ってしまったらしい。慌てて路地に車を入れて、 ハナビをいったん外に下ろしてやると、力なく地面に座り込んでしまった。ベビーフードのような吐しゃ物を処理 して、ハナビをなでてやりながら5分ほどそこに居たが、いつまでもそうしているわけにもいかず、弱々しく鳴き ながら訴えるような目で見つめるハナビに「ごめんな、もうちょっとだから我慢してくれ」と言いながら、再び車 を走らせた。後でわかったことだが、キャリングケースに入れた状態で車に乗せたのが悪かったようだ。猫はもと もと優れたバランス感覚を持っているので、車に乗せたぐらいで酔ってしまうということはないらしいのだが、 狭いキャリングケースの中で外もよく見えない状態で揺られていると、さすがにだめらしい。車の中で自由にさせて やると、酔ってしまうことはない。東京から岡山へ引っ越すときは、レンタカーのトラックの運転席で自由にさせて やったので、700kmの道のりでも何の問題もなかった。ただし、猫は環境の変化にともなうストレスに弱い動物で、 あまり車で連れまわしたりすると怯えるので、極力静かで平穏な生活を送れるように心がけてやったほうがいいようだ。 岡山への引越しの最中も、最初は流れ去る景色や車にびっくりして落ち着きなくうろうろしていたが、やがて助手席 に用意していたいつも使っていた猫ベットにもぐりこんで丸くなってしまった。一晩走って、夜明け近くになる頃には、 猫ベットから這い出し、僕のひざの上にのってきて、そこで垂れパンダのようになっていた。よっぽどこたえたのだろう。
 話が関係ない方向にそれてしまったが、とにかくハナビをなだめすかしながらなんとか同僚の家に到着し、トイレやえ さ、爪とぎなど必要なものを手渡して、ようやく北海道へ向けての第一歩を踏み出した。

 大田区大森の同僚宅を出て、すぐに首都高速にのった。時間は22時ごろだった。金曜日の夜ということもあって 交通量はそれなりに多かったが、渋滞になるほどではなく、意外とスムースに流れていた。予定では20時ごろには 出発するつもりだったので、食事はどこかでゆっくりしてから高速にのるつもりだった。しかし、こんなに遅れて はそんな余裕はない。どこかのサービスエリアで晩御飯を食べるしかない。そんなことを考えているうちに混雑す る箱崎ICを抜け、一路東北自動車道を目指した。
 東北自動車道に乗ってからはすこぶる快適なドライブが続いた。東京周辺の高速道路はほとんど利用したことが あるが、東北自動車道はその中でもっとも走りやすくて快適な道路のひとつだ。なんといっても、ほとんど平坦と いってもいいほど勾配が少ない。そして道路公団には申し訳ないが、交通量が少なくて走りやすい。ただし、夜間に 走ると照明がほとんどない区間が多く、その点では他の高速道路に劣る。
 深夜11時になる頃に佐野SAに到着し、遅い夕食を取ることにした。何を食べたのかすでに覚えていないが、 何かの定食を食べ、けっこう満足したような記憶がある。高速道路のSAにはその地方の特産品を使ったメニューが 必ずといていいほどあり、値段・質・量ともに悪くない場合が多い。下手な観光地のレストランなんかよりも数段良心的だ。 時間が遅かったので、店内はかなり閑散としており、旅立ちの夜の食事にはすこし寂しすぎたが、ひとまず空腹感が おさまったことでなんとなく幸せな気分に浸ることができた。

 佐野SAを後にして再び東北自動車道に戻ってからは、ひたすら北を目指して走りつづけた。宇都宮を過ぎると道は 3車線から2車線になったが、相変わらず交通量は非常に少なく、何らストレスなく走りつづけることができた。特別 眠くはなかったが、ひとりで景色も見えない闇の中を運転していてもつまらないので、CDにあわせて大声で唄いながら 独りカラオケ大会状態で走りつづけた。しかし、さすがに2時間もするとすっかり疲れてしまい、福島のあたりからは ただ黙ってひたすらハンドルを握りつづける状態になっていた。しかも、深夜2時を回るとさすがに強烈な睡魔の襲来に 耐え切れず、途中のPAで仮眠をとることにした。どこのPAだったか覚えていないが、おそらく仙台を過ぎてからのこと だったと思う。
 2時間ほど仮眠を取って、再び北を目指して走り始めてからすぐに、十和田湖の案内表示板が見えてくる頃に夜が 明け始めた。終点の青森まであと数時間のところまできた。かつてスキーバスで安比高原まで来たことはあるが、 今回はそれをはるかに超えて、本州の北端近くまで自走していくわけだ。
 すっかり明るくなって回りの景色も見えるようになったが、なにしろ東北の山の中。見えるものは山ばかりで、 これといって気分を変えてくれるようなものはなにもない。しかも青森に近づくにつれて山は深くなるばかり。 こうして実際に車で走ってみるとよくわかるが、岩手と青森の間にはかなり深い山が連なっている。東北新幹線が いつまでたっても青森まで延伸しないのも、なんとなくわかる気がする。この山の中に線路を通すには莫大な費用 がかかるだろう。それほどの費用をかけて延伸しても、はたして採算が取れるかどうかだ。すでに民間企業となった JR東北としては、やはり慎重にならざるを得ないのだろう。
 山間部を抜けてようやく青森の平野部に下りてきたころにはすっかり日も昇りきっていた。弘前を過ぎていよいよ 東北自動車道の終点、青森までやってきた。料金所を抜けたときは午前8時に近くなっていた。半日ぶりの一般道は、 平均スピードがやたら遅く感じてしまう。信号で止まるのも、なんだか久しぶりだ。青森港のフェリー乗り場を探し ながらゆっくりと青森市街の方へ進んでいくと、港への案内表示板を見つけた。港へは市街地に入る手前で道をそれ るため、結局青森の街を見ることはできなかった。
 港への曲がり角にはマクドナルドがあり、朝食をとろうと思ったのだが、開店時間は午前10時となっていた。 マクドナルドといえば全国どこでも朝8時から朝食メニューを出していると思っていたのだが、さすがに全国一律と いうわけではないということを初めて知った。仕方がないので、空腹を我慢しつつフェリー乗り場まで行き、とり あえずフェリーの切符を買った。JAFの会員証を見せると1割引になるということを知っていたので、忘れずに会員証 を提示した。出航までは1時間近く時間があるため、ひとまず車で休憩することにした。少しうとうとしたところで 乗船時間となった。
 青森と函館を結ぶフェリーには2種類あり、2時間で結ぶ高速フェリーと、3時間ぐらいかかる通常のフェリーとがある。 今回は少しでも早く北海道に渡りたかったので、少々価格が高いのを我慢して高速フェリーに乗ることにした。 わずか2時間で津軽海峡を渡りきってしまうため、フェリーの中はいわゆる大部屋式の床があるタイプではなく、 座席が並んだ客室だった。わずか2時間だが横になって仮眠を取ろうと思っていたのですっかり当てが外れてしまった。 しょうがないので、シートに座り寝る努力をしたが、すでに体が椅子に座ることを嫌がる状態で、のんびりくつろいで いられない。デッキに出て景色を眺めたりしながら時間をつぶしていると、ようやく函館港に船が着いた。

3、北海道初日
 想像していたよりも閑散とした函館港に降り立つと、ようやく北海道にたどり着いたという感慨にすこし浸っていた。 しかし、あたりを見回してもこれといって特徴的な建物もなければ旅情をかきたててくれるようなものもない。フェリー から降りたほかの車は先を急ぐかのように、さっさと走り去っていった。いつまでもしみじみしていても仕方がないので、 走り去る車の後を追って北海道を走りだした。
 北海道旅行の目的というものは特になかったが、広い北海道をひとまずぐるっと一周すること。その中でも、富良野を 中心とした道央と知床や摩周湖のある道東、そしてサロベツ原野の広がる道北がもっとも言ってみたい場所だ。道南につ いてはあまり行ってみたいと思うところがなかったため、今回は素通りすることにしていた。そのため、せっかく函館の 街についたというのにどこにも寄らず、すぐに国道5号線を使って、札幌を目指した。途中、駒ヶ岳の麓に広がる大沼に 少しだけ立ち寄った。なだらかなカーブを描く広い裾野を持つ駒ケ岳と、その姿を写す大沼は静かできれいな場所だった。 ゆっくりする時間があれば散策してみたいところだが、今回は目的のエリアではないこともあり、車でゆっくりと一周してから、 再び札幌を目指した。
 見事なほどの円錐型をした羊蹄山の麓で5号線を離れ、国道230号線を使って、定山渓経由で札幌へ入るルートをとった。 定山渓の手前、中山峠を過ぎて下り始めた頃から道は渋滞し始めた。すでに時間は夕方になっており、あたりは薄暗くなっ ていた。土曜日の夕方なので、札幌へ帰る車で混雑していたのだろう。広い北海道にきても、やはり大都市周辺部では渋滞 があるわけだ。疲れていたこともあり、けっこういらいらしたが、山間部を走る一本道であるため抜け道もない。ここは、 だまって我慢するしかない。のろのろと進む渋滞の列の中で、サロベツ原野を通る信号のない一本道を思い浮かべながら、 はやる気持ちを抑えるのはなかなか大変なことだった。
 夜7時近くになって、ようやく札幌市内に入ることができた。お昼頃電話帳で調べて予約しておいたビジネスホテルを 探すと、すぐにそのホテルは見つかった。繁華街のすすきのから少し離れたところにあったので、比較的静かでのんびり できそうなところだった。安いビジネスホテルなので、中身はそれなりだったが、とにかくベッドとシャワーとエアコンと テレビがあれば十分だ。
 夕食はコンビニ弁当で簡単にすませて、すすきのの街をぶらぶらしてみたが、やたらぽんびきの兄ちゃんが多くうざった いので、さっさとホテルに帰って、テレビを見ながら地図で明日はどっちへ行くのかを地図を見ながら考えた。広い北海道 を時計回りで回るのか、反時計回りで回るのか、それとも思いつくまま勝手気ままに回るのか、いろいろと考えた結果、 基本的には時計回りで回ることにした。というのも、ここ札幌から最も近い目的地のひとつは富良野になるが、そのあと 反時計回りに回ることにすると、次に訪れたい道東まで距離があいてしまい、移動のためだけに1日使ってしまうことに なるからだ。時計回りに回れば、道東からは帰り道になるので、夜のうちに移動すればよく、昼間の時間を無駄にしなく てすむ。ということで、翌日は富良野でゆっくりして、そのあとはサロベツ原野に向かうことにした。

つづく

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