あわや、オホーツクの藻屑!? 〜 北海道自動車旅行 その2

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4、北海道2日目

 すすきののホテルを朝早く出発し、国道12号線を使って富良野を目指した。国道12号線は 石狩川に沿って北上する道で、江別市を過ぎるとほとんど直線をつなぎ合わせたような道で、美唄市 から滝川市まで約20kmもの直線が続く。この区間は日本でもっとも長い直線道路にあたるらしい。 もちろん一般道路だから信号もあるし交通量もそこそこなので、それほど快適にドライブできるという わけではないが、まっすぐに続く道を走っていると、今まさに北海道にいるんだということを実感する。
 滝川市から国道38号線に折れ、谷あいの道をしばらく進むと、ようやく目指す富良野の町に 到着した。山々に囲まれたちいさな盆地に、こぢんまりとした町並みが広がっている。決して大きな街では ないし、高いビルもない。町並みの向うには十勝岳や富良野岳など2000m前後の山並みが続いており、 頭上にはスカッと晴れた青空が広がっていた。










 富良野の町はとりあえず通過し、ひとまず麓郷のある丘陵地帯を目指して、山道を登っていった。 途中、未舗装路になったりもする道で、道を間違えたのかと少し不安になったりもしたが、丘陵の上に出る とぱっと視界が開け、緩やかに波打つように続く丘を埋め尽くして、絨毯のような緑や黄色の畑が広がり、 写真やテレビで見たままの風景がそこにあった。
 余りの爽快感に、少し道を外れてわき道に乗り入れてみた。背後には前富良野岳がゆったりと広い 裾野を広げており、なんともいえない開放感があった。その前富良野岳に向かって、ジャガイモの畑だと 思うが、一面の緑の絨毯に白い花が刺繍のように咲き乱れていて、なんだかできすぎた映画のセットのよう にも感じられた。
 残念なことに、この旅行の時はまだ本格的に写真を撮ることを考えていなかったので、一応一眼レフ をもってきてはいたが、フィルムはすべてISO400のネガフィルムであり、PLフィルターもなければ、まとも な三脚もないという状況だった。旅行が終わってから現像が上がった写真を見て、かなりがっかりしたわけ だが、結局それがきっかけで写真を本格的にやるようになった。
 うねるように続く丘の道を登っていくと、麓郷の街があった。道に沿って家々が並んでいるが、家並 みは決して長くはない。街の中ほどに交差点があり、そのあたりが中心部のようで、商店などが目に付いた。 その中で目を引いたのは、やはり「北の国から」の中で中原材木店としてロケに使われていたお店だ。ここ は名前こそ違うが本当に材木店で、まさにドラマの中原木材店そのままで営業していた。
 街中の交差点を折れて山のほうに登っていくと麓郷の森というところがあった。この森の中の、北の 国からで黒板五郎の家として使われていたぼろ家と火事で焼けたはずの丸太小屋があった。とくに観光ガイド などで知っていたわけではなく、道端の看板を見てここにあることを知った。あまり観光地めぐりをする つもりはなかったのだが、ここまで来たついでなので、車をとめて見に行くことにした。
 ひんやりと涼しい森の中の道を案内板にそって歩いていくと、見覚えのあるおんぼろ家が見えてきた。 当時すでに石の家ができていたので、ロケには使われなくなって放置されていたらしく、家の回りは雑草が 生い茂り、家の中も荒れた感じだった。こんな廃屋でも人気ドラマの舞台になると観光資源として活用でき るのだから、ドラマの威力とはすごいものだ。考えてみれば、ヒットした映画の舞台になっているところは、 たいてい観光地化している。最近は日本の各都市も映画やドラマのロケ地として利用してもらおうと、誘致 のための組織をつくって活動しているが、気づくのが遅すぎたという気もする。何かで聞いた話では、大々 的な大阪ロケを敢行したハリウッド映画の「ブラックレイン」は、本当は東京でのロケを希望していたらし い。しかし、当時の東京都知事(誰だったのかしらないが)は、道路の占有などが難しいなどの理由でロケ を許可しなかったらしい。もしも、東京都がこうした文化活動にもっと積極的な姿勢を持っていたら、まっ たく違った「ブラックレイン」が見られたかもしれない。また、ラジオか何かでいっていたのだが、東京で 映画を撮ってみたいという外国の監督はけっこういるらしく、こうしたことをきっかけに東京を舞台にした 映画が数多く作られていた可能性もある。それによって、観光客が増えて経済的波及効果も期待できただ ろう。ちょうど、ニューヨークやロスのように映画を通じて東京が、ひいては日本が世界的にメジャーに なっていたかもしれない。もちろん、すでに東京や日本の名前はある程度知られているのだろうが、東京 という街の風景や、そこにどんな人たちがどんな風に生活しているのかという情報は、意外と外には出て 行っていないような気がする。いまでも、日本といえば、芸者、富士山、侍、切腹という程度のことしか しらない外国人は数多くいる。その意味では、富良野は非常に先進的な街だったといえるだろう。もっと も、北海道のど真中で自然と風景の美しさ以外には観光資源に乏しいところだから、全国放送のドラマの ロケ地になるのなら、名前が売れることだし喜んで協力したというのが意外と本音かもしれないが。しか し、それは何も富良野に限ったことではない。どこの町でも有名になって多くの人に訪れてもらったほうが いいと思っているだろう。そうしてみると、東京というところだけが、特殊だったということになるのか。 もっとも、石原知事になってからはかなり積極的にロケには協力するスタンスに代わったようなので、こ れからは都内で頻繁に映画のロケシーンが見られることになるかもしれない。そうして、東京にもかわっ た観光地がふえていくのだろうか。

 麓郷の森をひととおり見て周った後、丘陵地帯に広がるパッチワークの丘の中を抜けて、美瑛方面に 向かった。よく見る美しい丘の写真は、そのほとんどが美瑛の丘のもので、富良野に来た以上はやはり見て おきたい場所だ。










 麓郷からは、来た道をたどるのではなく、途中で横道にそれて前富良野岳のほうへと進んでいった。 ゆったりと波打つ丘の道をのんびりと走るのは非常にきもちがいい。9月といえばすでに北海道では収穫の 時期で、刈入れの終わった畑とまだ終わっていない畑がまさにパッチワークの状態で大地に広がっている。
 農道のような道を山麓へと進んでいくと道は行き止まりになり、今度は山麓にそって回り込むよう に走る道をたどってみた。そうやって、地図も見ずに気のむくままに丘陵をあちらこちらへ走りまわって いくうちに、いつのまにかちゃんとした舗装道路に戻り、そのまま丘を下りていった。
 富良野丘陵から富良野盆地へと下りて来て、国道237号線を北進し美瑛の町に到着した。時間はすで にお昼になっており、すっかり日は高くなっていた。
 そのまま美瑛の丘陵地を見て周ってもよかったのだが、じつは前の年に仕事で土日をはさんで札幌 に滞在したことがあり、そのときレンタカーで美瑛の丘陵地帯を一通り回っていた。そのため、今回は先 にまだ行ったことのない十勝岳のほうへ行ってみることにした。
 美瑛から十勝だけへ向かう富良野丘陵ルートは、正面に十勝岳を見ながら白樺林の中を抜けていく 非常に気持ちのいいルートで、美瑛に行ったならぜひ一度は通ってみてほしいお勧めのルートだ。長野県 の八千穂高原のあたりも白樺の中を抜ける道があるが、あそこよりも何倍も距離があるように感じられた。 行けども行けども左右は白い木肌の森で、青い空と緑の葉、そして白樺の幹という色合いがまさに絵に描い たような爽やかさだった。
 白樺街道とでも名づけたいような気持ちのいい道を登っていくと、秋晴れの抜けるような青空が周り をつつみこむようにどんどん近づいてきた。やがて十勝岳を間近に見る広い瓦礫だらけの河原に差し掛かっ た。ちょっとした駐車スペースがあったので、車を降りてあたりを散策してみた。そこは、美瑛の丘陵地帯 を眼下に見下ろすことができ、非常に眺めのいい場所だった。足元には、小さくて丸い純白の花が一面に 咲いていた。なんという花かわからないが、そのまるまるとした花のかわいらしさは、今まで見たことも ないようなものだった。
 再び車に乗り十勝岳を登っていくと、十勝岳の爆裂火口に程近いところで道は行き止まりになった。 このあたりは標高もかなり高いようで、わずかながら紅葉が始まっていた。ここは十勝岳温泉があるところ で、ここから徒歩で30分ほど登っていくと十勝岳の火口が見られるらしい。しかし、すでに時間は3時近く になっていたので、今回は小休止をしただけでもと来た道を引き返し、美瑛の丘に向かうことにした。

 美瑛の丘陵地は、国道237号線をはさんで東側と西側に広がっているが、今回は主に西側に広がる ぜるぶの丘と呼ばれている一帯を見て周ることにした。もちろんもっと時間をかけてゆっくり周ってもよ かったのだが、今回は初めての北海道自動車旅行ということで、とりあえず一通りぐるっと1周まわってお きたいという気持ちが強かった。特に、道東に十分な時間を割きたいことから、美瑛をすべてみてまわる ことはやめて、ハイライトだけに絞ることにした。
 ぜるぶの丘は国道からすこし坂を登ったところに広がる丘陵地帯で、丘の向うには十勝岳や大雪山の 峰々が連なる美しい場所だ。もう少し遅い時期に来て、冠雪のある頃に見ればかなり大陸的な景色となる だろうと想像できる。ちょうど、南ドイツのあたりの丘陵地からアルプスを眺めているような、そんな雰囲 気のあるところだ。実際、ドイツを訪れたときに北海道とその雰囲気が似ていると感じたことがある。
 あちこちふらふらしながら写真を撮っていくうちに、「なんとかの木」という看板を見つけた。畑の 中に一本だけ立っているその姿は、どこか飄々として自由気ままな雰囲気がある。このあたりには「マイル ドセブンの木」とか「スカイラインの木」とかいろんな名前の木がたくさんあって、この木がなんという 名前だったか忘れてしまったが、とにかくそのとき僕はこの木が気に入ってしまった。
 時間はすでに夕方となり、普通うに写真をとっても薄暗い中に木が立っているだけの無意味な写真 になりそうなので、夕暮れを待つことにした。幸い天気はよかったので、もしかすると夕焼けが期待できる かもしれない。ちょうど丘の上に立つこの木は、周りに障害になるようなものが何も無いので、夕焼けを背 景にすれば絵になりそうだ。
 車の中で1時間ほどボーっと過ごしている間にも、観光客が時おりやってきては木の下で記念写真を 撮っていった。いくらなんでも木の真下でコンパクトカメラで写真を撮ったら、どこかの公園で撮ったもの とまったく変わらないものになるんじゃないかと要らぬ心配をしつつ、なにしろすることも無いので、ただ 写真を撮って通り過ぎていくだけで楽しそうな彼らを眺めていた。
 そうこうしているうちに、ようやくあたりは薄暗くなってきた。観光客の姿もすっかり見かけなく なって、僕は広大な丘陵地帯にひとりぽつんと取り残されてしまった。こういう静かなところはけっして 嫌いではないし苦手でもないのだが、このときはどういうわけか妙に寂しい気持ちに襲われてしまった。 少し前まで多くの観光客が姿を見せていたのに、突然誰も彼もがかき消すようにいなくなってしまったか らか、それとも見知らぬ土地にいることで少しセンチメンタルになったからなのか、理由はよくわから ない。
 とにかく、しんみりしていてもしょうがないので、カメラを準備して、木と夕焼けがバランスよく 収まるポジションを探して畑というよりも牧草地のようなところをうろうろした。木のある場所は、雰囲 気的には遊休地か牧草地という感じで、畑として作物を育てているところではなかった。もっともそう思っ ているのはこっちの勝手で、もしかしたらいい迷惑だったかもしれない。
 このとき持っていた三脚は、じつは札幌市内のカメラ店で買ったコンパクトタイプのしょぼいもの で、高さもなければ強度もかなりやわいもので、少し風が強いと一眼レフカメラでは長時間露出は無理だ ろうというような代物だった。何でそんなものを買ったかというと、お馬鹿なことに三脚を持ってくるの を忘れてしまったからだ。ちゃんとしたものを買いたかったのだが、なにしろ高い。東京のヨドバシカメラ なら半額ぐらいで買えそうな値段だし、家に帰ればあるのだからわざわざ同じような三脚を、倍の値段で 買う気にはなれなかった。そこで、一眼レフが使える一番安い三脚ということで買ったのがこの三脚はいわ ゆる引っ張り出して伸ばすと自動的にロックがかかるタイプで、レバーなどのちゃんとしたロック機構は ついていない。それでも5000円もした。幸いこの日は風がほとんど無く、こんなやわな三脚でも十分役に 立った。
 カメラをセットして待っていると、やがて太陽は西の山すそに没してしまい、次第に空が赤く燃えて きた。うまい具合に西の空に雲がいくつか浮いており、それが見事に紅く染まり始めた。まだ青みの残る 空と、紅く染まった雲、そして黒々とした影となって存在する一本の木。人の気配や車の音など何一つな く、風すら遠慮がちに時おりそっとすり抜けていくだけの、静かな時間だけが流れていた。僕はシャッ ターを切りながら、その光景にすっかり見とれていた。北海道に来た2日目からこんなにも美しい夕日に めぐり合えるなんてすごく幸運だと思った。しかし、それはあっという間の出来事だった。わずか数分後 には、紅く染まった雲は色を失い、あたりは次第に墨を流したような闇に塗り込められていった。足元す らよく見えなくなってきたので、カメラを抱えて車へ戻った。機材を片付けて運転席に滑り込むと、さて どうしたものかと考えた。
 美瑛のあたりで夜を明かして、翌朝サロベツ原野へ向かうか。それともこのまますぐに出発するか だ。今回の旅行は、経費節減のためにテントを持ってきていた。北海道は、比較的キャンプサイトが充実 しており、しかも無料のところが意外に多い。貧乏旅行にはもってこいだ。雨の日はどこかで安宿を探せ ばいいし、最悪車中泊という手段でもいい。もっとも、このときの車はフルフラット機能もない普通のセ ダンだったので、車中泊はできれば避けたいところだ。
 いま車を停めている近くにはキャンプサイトが一ヶ所あったが、一度前を通ったときには結構混雑 していたようだし、薄暗い藪のようなところがテント場だったので、どうもあまり気乗りがしなかった。 かといって富良野のほうまで戻るのも面倒だ。どちらにしてもこのままでは晩御飯にありつけないので、 どうせぜるぶの丘から美瑛の町まで下りなければならない。それなら、いっそのこと旭川を経由して留萌 へ抜け、そのまま海岸沿いを北上して、適当なところで車中泊でもしたほうが効率はいい。うまくすれば サロベツ原野で朝焼けが見られるかもしれない。
 そうと決まればゆっくりしているのはもったいない。早々にエンジンをかけて、丘の道を駆け下っ た。あたりはすっかり暗闇に包まれ、美しい風景に目を奪われることもない。ひたすら走るのみだ。美瑛 から国道237号線を旭川まで走り、旭川から国道12号線を西へ向かった。途中、神居古潭(カムイコタン) の案内板が右手に見えたが、夜なのでさっぱりわからない。そもそも"カムイコタン"ってなんだ? 名前 はなんとなく聞いたことがあるのだが、それが史跡を指すのか、景勝地のことなのか、はたまた集落の名 前なのかとにかくわからない。昼間ならちょっとよってみてもいいのだが、なにしろ夜なので、疑問に思い つつも通り過ぎた。
 深川市で国道233号線に入り、留萌市をめざす。留萌本線を越えたところで温泉マークを発見。北海 道にはいたるところに温泉があり、しかも日帰り入浴施設が充実している。ここもその例に漏れず、秩父 別(ちっぷべつ)温泉という日帰り入浴の温泉だった。料金も安い。さっそく温泉でのんびりと疲れを癒す ことにした。自分としてはとりたてて長風呂のつもりはないのだが、たいてい入ってから出るまで1時間ぐ らいはかかるので、男としては長いほうなのかもしれない。とはいっても、実際に湯船につかっている時間 はそれほどでもなく、露天風呂や内湯に出たり入ったりしながら30分ぐらいかけてあったまり、その間に 体を洗ったりシャンプーをする。そして、風呂から出た後に体を冷まして、汗が引いてから服を着るので、 着替えに15分ぐらいはかかってしまう。そのため、都合1時間近くかかってしまうのだ。友達などと一緒 に温泉に入ると、汗も乾かないうちにそそくさと服を着てしまう奴がいるが、僕にはどうもあれが理解で きない。気持ち悪くないのだろうか。せっかく風呂に入ったのに、汗まみれの状態で服を着ると、ますます 汗をかいてしまうではないか。意味ないだろうといつも内心思っている。
 今回もじっくり1時間ほどかけて温泉を堪能したあと、再び走り出した。出発してすぐに無性に腹が 減ってきた。しかし、深川市と留萌市の中間あたりに位置する場所なので、人家すらまばらな場所だ。そん なところでまともな店などあろうはずもない。しばらく走っているとやっとコンビニを見つけたので、この さい贅沢は言っていられないということで、コンビニ弁当を買うことにした。車の中でコンビニ弁当をひと りで食べるのもなんだかわびしいものだが、一人旅なんてこんなものだ。大学の卒業旅行で行ったヨーロッ パ旅行でも、ロンドンのユースホステルの部屋で、近所のスーパーで買ってきたパンとジュースをベッドの 上で食べたっけ。なんてことを少し思い出した。幸い、僕はあまり食事には頓着しない性格で、とにかく お腹が膨れればいいというほうだ。だから同じモノを2〜3日続けて食べても特に問題はないし、ましてや ひとりで食べるのは寂しいからいやだなどということはない。なにしろ一人暮らしが長いので、そういう ことにはすっかり慣れっこになっていた。下手に食堂などに入って、くちゃくちゃ音を立てて食べるオヤジ や、爪楊枝でシーハーするオヤジ、食べているそばでぷかぷかタバコを吸う奴などが隣にいるよりは、 ひとりでゆっくり食べるほうがよっぽどましだ。だから、ひとり暮らしをはじめた最初の頃は外で食べて いたが、だんだん自分で作るようになり、よほどのことがない限り、普段の食事は外ではしないことが多 い。
 コンビニ弁当で食欲が満たされれば、それですっかり気分は満足。食後のお茶など飲みつつ、再び 留萌市を目指して走り始めた。途中の峠では少し霧が出ていたが、道中はいたって平穏で、渋滞もなく快 適なドライブを楽しむことができた。北海道に来て良いなと思うのは、道がいい上に交通量が少なく、しか も信号が非常に少ないことだ。それでも札幌のような大都市周辺では東京とたいして変わらないところも 多い。しかし、一歩市街地を抜けると、まったくもって快適なドライブを楽しむことができる。そんなと ころに高速道路を作る必要性なんてまったく感じられない。それでも高速道路をめぐるさまざまな利権に 絡めて選挙が行われるために、無駄な高速道路建設が需要のない北海道の田舎でも進められている。人間 というのはどうしてここまで愚かになれるのだろうか。人間の一時的な欲望を満たすために、自然環境に 大きなダメージを与えると、それをもとにもどすことは大変なことだ。環境を破壊することを前提に施設 を作ったり、開発したりという時代ではない。自然の環境にいかに負荷をかけずに、自然と人間が共生で きる持続可能な社会を実現することができるかということが、人間に差し迫った課題だ。地元企業への利 益誘導型選挙がいつまでも行われているようでは、その地域の人々の良識と知性が疑われかねない。北海 道が、自然と人間の共生をいち早く実現した場所となることを切に願う。
 ひと気のない静かな留萌市を通り抜け、真っ暗な日本海を左手に見ながら国道232号線を北上した。 留萌市から稚内市までは、大きな市はなく、こぢんまりとした町が時おりあるだけだ。信号はほとんどな く、対向車にもめったに出会わない。昼間ならさぞ気持ちのいいドライブウェイなのだろうが、夜ともな るとひたすら真っ暗で退屈な道だ。しばらく走ると、道の駅があったので、休憩のために立ち寄ることに した。道の駅といってもただの道の駅ではく、かつてニシン漁で湧いた漁村の一角にある大きな番屋(ニ シンを見張るための小屋)を中心としており、なかなか立派なつくりをしていた。昼間なら番屋の中を 見学できるらしい。トイレも清潔で、やかましいトラックもほとんど停車していないこともあり、ここで ひとまず仮眠をとることにした。幹線道路の道の駅などは、エンジンをかけっぱなしにして休んでいる トラックが多く、けむいうえにうるさいが、ここなら静かに寝られそうだ。
 シュラフを取り出そうとトランクを開けたときになって初めて、シュラフをもって来るのを忘れて いたことに気が付いた。幸い、念のためにとバッグに入れておいたタオルケットだけはあった。まだ9月 だし、たいして寒くもないもないので、タオルケットだけでなんとかなるだろうとこの時は軽く考えて いた。しかし、後に道東で大変な目にあうことなど、想像もしていなかった。 とにかく、スウェットシャツに着替えてタオルケットを引っかぶって、リアシートで丸くなって眠りに ついた。足を伸ばして眠れないというのはちょっとつらいが、とりあえず仮眠だしまあいいだろうと思っ ていたのだが、これがなかなか寝苦しく、足がつらくて2時間もすると目がさめた。いろいろと体勢を変 えながら再び寝入ったが、結局深夜2時過ぎには目がさめてしまった。やはり足を伸ばして快適に眠りたい。 眠りに対する欲求は、何ものにも変えがたい。このときの体験が、後に車をワゴンに買い換える直接の 動機となった。

つづく

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