醍醐桜情報

醍醐桜について

このページは、「醍醐桜を愛する会」が平成9年4月に作成した「醍醐桜の栞」 に基づいています。

所在地

岡山県真庭市別所(旧 落合町別所吉念寺地区内)

データ

樹種:アズマヒガン(別名 エドヒガン)
樹齢:推定樹齢1000年
○ 一般には700年といわれていましたが、樹がいたむため実測されたことはなく、どうしてそ のようにいわれていたのかわかりません。平成2年5月、有名な樹医山野忠彦氏により、醍醐桜の 若返り治療が行われた時、山野氏は樹齢を「約1000年」と推定されました。それで地元では古木権威者の 推定を尊重し平成2年の時点で、樹齢を「推定約1000年」としています。
樹高:18m
枝張り:東西20m 南北20m
目通り周囲:7.1m(根元周囲 9.2m)
日本名木百選 ・ 岡山県指定天然記念物(昭和47年12月9日)

醍醐桜のいわれについて

@ 後醍醐天皇について詳述している「太平記」によれば、「後醍醐天皇は元弘の乱で鎌倉幕府 により隠岐(島根県)へ遷幸された翌年の元弘三年(西暦1333年)閏2月23日隠岐を 密に出られ、伯耆(烏取県)の船上山(大山の北側)へご臨幸になり、幕府軍との勝戦で同年 5月23日船上山をご出発京都へ向われ、5月27日播磨(兵庫県)の書写山(姫路の北方) へ着かれ、6月9日京都へ還幸された」と記しています。  後醍醐天皇は、船上山から書写山へ出られる道中この地を通られ、遥か東方の京都を望みな がら、高台に聾えるこの大桜樹に魅せられ賞讃されたものと思われます。太平記のいう閏2月 とは旧暦の2月が2度ある年のことで、この地を通られた5月下旬は新暦の7月中旬で青葉繁 るころだったと思われます。

A 地元の古老が、醍醐桜周辺に天皇還幸にまつわる地名・伝説が点在することに基づいて、天 皇還幸途上賞讃説が正しいものと継承してきたのに、児島高徳の院庄での古事に押されて天皇 遷幸途上お手植説が巷に広がったことがあります。しかし遷幸途上のお立寄りは不可能であり 樹齢の関係でお手植えも不合理なことから、この説は合理主義的現代人になじまず自然消滅し ました。

B 各地の天皇遷幸・還幸伝説は我田引水的に誇張されがちで影武者論も活発ですが、醍醐桜の いわれは古老の言い伝えを紐解けばおのずと理解納得できます。遷幸と還幸を混同することなく 明確な資料に基づくほかは、風土・良俗に反しない限り、それぞれの伝説を大切にすべきです。

(注:管理人補足)遷幸と還幸:京都から隠岐へ向かう道中が「遷幸」で、隠岐から京都へ戻る道中が「還幸」。「醍醐桜の栞」 によると、後醍醐天皇が醍醐桜に立ち寄ったのは一般的に言われている遷幸途中ではなく、還幸途中の 7月中旬が正しいということらしい。

醍醐桜の願い

醍醐桜は、約1000年の昔からこの地に育ち桜の女王として君臨しその醍醐味を発揮し続けてい るのです。奇しくも「醍醐」の字を自らおくりなに取り入れられた後醍醐天皇に賞讃されてから 「醍醐桜」と尊称され、神木として崇められながら世の変動にも動ぜず、この高台から静かに 世相を見つめています。醍醐桜は清純で素朴な平和の女神です。醍醐桜は、いつまでも咲き続 け、万人にその恵を享受され、平和のシンボルとして愛し続けられることを願っています。

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